生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

88星座が言えた頃-コンタクト-

今日の空は格段に美しかった。
台風の後の晴れ渡る、秋空。
世界がまぶしいほど。

夜には、よく星が見えるだろう。

子どもの頃、私は全天の星座すべてを唱えることができた。
1986年、ハレー彗星が76年ぶりにやってきた頃のことだ。

全天の星座は、88ある。



きっかけは、母が買い与えてくれた大量の児童書の中の1冊だったと記憶している。
こぐまシリーズとかライオンシリーズとかいう名前がついた数十冊の児童書セットを小学校入学から卒業まで読みふけった。
中には絵本もあれば、少し難しい本もあった。
日本の昔話もあれば外国の物語もあった。
科学の本も、ノンフィクションもあった。

もうタイトルは忘れたけれど、その中にギリシア神話にまつわる本があり、その広大な世界観が私の心をわしづかんで離さず、それから中学を卒業するあたりまで、毎日のように私は星を眺め、夜空の先、世界の始まり、そして終わりについて想いを馳せた。

プラネタリウムも大好きだった。
子午線が通る明石の天文科学館が私の地元ではお決まりの遠足コースだったし、親にもねだってよく連れて行ってもらった。

明石のプラネタリウムの番組は幾つも種類があるわけではなくて、年に何回も通ったけれど、そのほとんどはくじらとペルセウス、アンドロメダの話だった。
毎回同じでも、全然飽きなかった。
メドゥーサの蛇の髪の気味悪さ、とぐろを巻いた奇妙な尻尾の「くじら」、荒れ狂う海の黒さ、アンドロメダの可憐さ、ペルセウスの勇敢さ。
心が躍った。

様々な物語が、夜空を舞台に繰り広げられることが言い様のないロマンだった。
昔のギリシア人は、そんなふうに夜空を見上げて想像したのだと思うと、異国と歴史にさえ想いが及んだ。

夏の星座であるさそり座が東の空から上る頃、冬の星座であるオリオンがそそくさと西の山に隠れていくのは、さそりがオリオンを刺し殺したから。

琴座のベガとワシ座のアルタイルを架け橋するように天の川に翼を広げる、白鳥座デネブ。

なんて、なんて、なんて素敵な世界観なんだろう。

私のギリシア神話熱は、やがて宇宙の成り立ち、時空といったものにも伝播した。
物語だけでなく、天体、宇宙に関する本を図書館で探しては片っ端から読んだ。
星を観測するためのジュニアキャンプに参加したり、親にねだって天体望遠鏡を買ってもらった。
ハレー彗星の観測会にも行ったし、「星になった犬チロ」で有名なチロ天文台に手紙を書いた。
そのころから、興味のあるもの、好きなものには、とことんはまった。
それを通じて、私自身の世界観はどんどんと広がっていった。
知識と内面が広がっていくことの歓びも、星への想いが教えてくれた。

宇宙の神秘は、とめどなく深い。
そして、それは生命の神秘にも通じる。

私がなぜここにいるのか。
私のいない世界とはなんなのか。

この世の始まりはいつなのか。始まりの前はなんなのか。
この世の終わりはあるのか。終わりの後はなんなのか。

無とは何か。無さえもないことがあるのか。

時間とは何か。時間は概念でしかないのか。

真理とは何か。真理とは存在するのか。

考えつくせば、「我はαなり、ωなり」という聖書の言葉に行きついてしまいそうだ。
全ての始まりにして終わりなるもの。

気が遠くなるほどのその奥行きを、気が遠くなるまで眺めていたい。

その頃は、本気で天文学を学ぼうかと思っていた。
高校の授業に地学がなかったのと、ありえないほど物理ができなかったのが理由で、そんな曖昧な夢は曖昧なままはじけてしまったけれど。

そんなふうな宇宙についての想いを、まるで映画というメディアに映し出してくれたかのような作品がある。

ジョディ・フォスター主演のSF映画「コンタクト」。
地球外生命体と人類の出会いを、科学、宗教、哲学、記憶、愛といった、命をとりまくあらゆる「深きもの」から静かに見つめていく。

感動に縛られてしまいそうな、美しい映画だ。


コンタクト Contact(1997年・米)
監督:ロバート・ゼメキス
出演:ジョディ・フォスター、マシュー・マコノヘイ、ジョン・ハート他
[PR]
by yukotto1 | 2004-09-30 23:26 | 考えてしまう映画