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生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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白い壁に一枚の絵を-めぐりあう時間たち-

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閉じた瞼。その奥に秘めた情熱。
背景に舞う鮮やかな桜と、紅の唇が寡黙以上に語る。
乙女の胸に宿る物語が沈黙という音の中、印象的に焼きつく。
深い、深いところの想像力を刺激する作品だ。



これは、普通の絵画ではなく、緻密な切り絵。
友人の作品。

初めて目にしたのは大学4年のときで、「ぜひ欲しい」と思った。
それは作者自身にとっても同じことで、大学の展覧会に出したときも譲って欲しいという人がいたらしいけれど、彼女は決して売らないと断った。
「絶対に人にはやらない」
頑固な彼女はそう言いのけていた。

私はその絵に「乙女の情熱」と名前をつけた。

作者は、中学の同級生であり、親友である女性。
中学1年で同じ班になって以来の付き合いだ。

でも、当時は、彼女のことをそんなによく知らなかった。
面白い子だとは思っていたけれど、それは特別な友情とまではいかず、クラス替えや卒業にともなって、彼女との関係は疎遠になった。
どこか気になる存在ではあったけれど。

何がきっかけだったのだろう。
卒業から何年か後、何かの拍子に彼女に電話をしたのだ。
あるいは彼女の方からだった?

確か、一つ目の大学を辞めるとき。

そう、私は一度大学を辞めた。
語るほどの理由はないので、あえてそれについては触れないけれど、私はその大学を辞めて東京に出ることにした。
当時、私は大阪に住んでいた。

東京に行くという選択が、当時においても、その後の人生から振り返っても、十分すぎるほど大きな転換点であったことは間違いない。
そんな春の折、なかば浮き足立ち、なかば心はやり、なかばまどろんだような春の折、私はふと思い立って彼女に電話した。
あるいは、偶然、彼女から電話があった。

「私、東京に行く」

彼女に言わせれば、久しぶりに話したと思ったら唐突な宣言で、何をまたこの子はやらかすのだろうと呆れ驚いたらしい。
その後も、どういうわけか、何年ぶり、何ヶ月ぶりといった具合で彼女と話をするときには、いつも私は何か大きな変化を迎えたタイミングで、意図しているわけではないのに、彼女は私の人生の節目みたいなものに、立ち会っている。

それがいつ頃からか、定期的に連絡を取り合う仲になった。

彼女は、中学生の頃にはすでに絵が得意だった。
美大に行けばいいのに、と私は彼女に何度か言ったかもしれない。
彼女はそのたび首を横に振った気がする。

彼女は、私の地元の言葉で言うところの「おとち」というやつで、要は怖がりなのだ。
「そんなん無理!」が口癖で、物事についてすぐに「やらない理由」を並べ立てる。
私は「やらなかったとき後悔しないか?」と考える傾向があるので、私たちは全くもって逆の性格だと言える。

でも、私はそんな彼女が大好き。

彼女は「おとち」とは言え、さっきまでぐずぐずしていたかと思うと、突如驚くべき行動力を見せることがある。

たとえば恋愛においては、私に比べて数段に潔く、これと思ったら妄信的なほどの情熱で突き進む。
お菓子作りは好きなくせに料理は一切しないという謎のポリシーをもっていたかと思えば、好きな人のために今は誰よりも熱心で本格的な料理研究家になった。
大学の卒業式の数日前まで就職活動さえしなかったくせに、たまたま親に見せられた求人チラシをきっかけに、まさにすべりこみで印刷会社のデザイナー職をつかんだ。
会社を辞めたときも、この先どうするんだと思ったけれど、なんだかんだ言ってそれなりにSOHOを始め、とりあえず肩書きはフリーのデザイナーをしている。

私よりずっと思い切りがいい。

彼女のまっすぐさ、ねじまがり、愚かさ、気高さ、情の深さ。
私とは違う生き方だけど、一生付き合っていきたい愛すべきひと。

傲慢な話で恥ずかしいけれど、5年くらい前まで、私は友だちの価値というものをそれほど理解していなかった。
人に頼られることはあっても、人に頼ることはない。そう思っていた。
大きく落ちこんだこともなかったし、自分だけで解決できないことはなかった。

今思えば、その年までそれほど強くあれたこと自体が不思議。

ところが5年前、それが崩れた。

それまでの私にはありえなかったコンディションだった。
生涯始まって以来の、本物のピンチ。

当時、私のピンチを知った彼女は、偶然の東京出張の帰り、急遽予定を変えて私の住む名古屋に立ち寄ってくれた。

彼女が名古屋に来たのはそれが初めてだったのに、憔悴しきっていた私は、何一つ彼女にもてなしをできなかった。
そればかりか、まともな食事に付き合うことも、ろくに会話をすることもできなかったような気がする。(うろ覚え)

彼女はただ一緒に一晩過ごしてくれた。
そして翌朝、私の会社の最寄駅まで来てくれて、そこで別れた。

数日後、私のもとに、大きな包みが届いた。

「白い壁は寂しいなあ」というメッセージがついていた。
包み紙を破るとそこには、あの、「乙女の情熱」が慎ましくおさまっていた。

「物には行かなあかん場所があんねん」
彼女は言った。
しかるべきタイミングに、しかるべき人のところに。

当時私は、会社の寮に住んでいて、それはそれは狭くて無機質で簡素な部屋だった。
光もあまり入らず、いつも薄暗かった。
好んで住んでいたわけではない。
早くその部屋から引っ越したくてしょうがなかった。
彼女は、その部屋の白い壁をあまりに寂しいと言っていた。

「あの絵はな、yuちゃんとこに行かなあかんかってん」

私の価値観は、すっかり変わった。

その2年後、私は寮を出て、日差しの明るい部屋に引っ越した。
同時に気分もきれいに晴れた。

さらに1年後、私は東京に引っ越した。
今は、もっと窓の大きな部屋に住んでいる。
広いベランダから新幹線が見える。

「乙女の情熱」は、私の感情の深いところを見つめている。
瞼を閉じたまま、全てを見通している。

思えば、この5年間、ずっと私の部屋にいて、絵の中の彼女は私のこと、私に起きる様々なこと、見てきたのだ。
幸福に満たされたときも、悲しみに暮れたときも。

これから先も、私を見つめてくれるだろうか。
いずれまた、しかるべきタイミングにしかるべき人のところに行くまで。

友人には、もうすぐ女の子が生まれる。
その子にはまだ名前がついていない。
もしかしたらいつか、その子のところに、この絵が帰る日もあるかもしれない。

映画「めぐりあう時間たち」を観た。
3つの時代。3人の女性。3つの朝、3つの夜を描く。
各々に、別々の、パーティが開かれる。
それを全て貫く、ヴァージニア・ウルフの小説「ダロウェイ夫人」がキー。

時間が重なる。
それをつなぐものがある。
それぞれの人生が、それぞれに痛みを抱え、皆、一つの物語に救いを求めている。
もしかしたら、生きる全ての意味をそこに求めているのかもしれない。

ああ、息苦しい。溺れてしまいそう。この映画。
幾度もテンポを変えて盛り立てる、静かで、かつ情熱的な、背景音楽。

私も、友人も、まもなく生まれるその娘も、めいめいに生きていくだろう。
3人ともに異なっていて、3人ともに共通な、痛みや息苦しさ、歓びや幸福。

そして、この絵も、時代を超えて、そこにあり続けるだろう。
ずっと主を見つめ続けるだろう。

でも、まだしばらくは、私のそばにいて。


めぐりあう時間たち The Hours(2002年・米)
監督:スティーブン・ダドリー
出演:メリル・ストリープ、ジュリアン・ムーア、ニコール・キッドマン他
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by yukotto1 | 2004-10-06 04:40 | 考えてしまう映画