生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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高速エレベーターの話-摩天楼はバラ色に-

この話をするときは、いつも、一呼吸躊躇する。
理解してもらえる人としてもらえない人がいて、前者であれば強い共感を得ることができるけれど、後者であれば人種の違いと判断されるリスクがある。

言葉の選び方には慎重になる必要があるし、どうか誤解を受けないようにしたい。

たいていこの話に共感してくれるのは、相応に年上の男性であり、しかも社会的に既に成功を収めている、あるいは、収めつつある人たちだ。
彼らは、常にプレッシャーと闘い、信念に心身を注ぎ、情熱を傾け、自らに厳しく生きている。
成功に溺れることなく、高みを目指し続けている。
そして同時に、しなやかに軽やかに、社会の海を泳ぎぬこうとしている。
私はあえて、彼らのことを、人生に挑戦し、人生を謳歌する人たちだとも言いたい。



「成功」というのは、大企業や有名企業に勤めているという意味ではない。
そこで出世したという意味でもない。
はたまた、お金持ちであるという意味でもない。(実際、そういう人たちはお金持ちであることは多いけど)

ここでの成功とは、「○○の世界にこの人あり」と言われるような人、という意味だ。
一般の人がどのくらい知っているかは別にして、その世界においては一角の人で、個人が一つのブランドとなるような存在感を放つ人。
ここに個人名を挙げれば、読者の中には「その人の名前聞いたことあるな」と思う人がいるかもしれない。

ラッキーなことに、私は30年足らずの人生の中で、そういう人に幾人か会ってきた。
そういう人たちに出会うと、私は懐を借りるつもりで、この話をする。
彼らは、「若い人の話は面白いネエ」といった感じでこの話をきく。
そして、次回以降に会ったとき、何かの拍子に彼らは言う。
「恵比寿の高速エレベーターの話、あれはね、本質だと思うよ」

今から3年前の、夏の日のこと。
知り合いのゲームクリエイターとその奥さんと、私は夕食の約束をしていた。
私は学生時代、某ゲームソフト会社でアルバイトをしていて、世界的ヒット作を創った有名クリエイターの下で働いていた。
時はITバブル真っ只中、プレイステーションがたった1年間で世界の出荷台数を年初の倍の5000万台にした1998年前後の話。
当時、その奥さん(その頃はまだ独身)はプロダクトマネージャーをしていて、私は二人に本当にかわいがってもらった。
面白い仕事をまかせてもらったし、食事にもよく連れて行ってもらった。
大学を卒業したら、その会社に残らないかと誘ってもらったけれど、いろいろ考えて結局私は別のプランを選んだ。
けれど、当時も、今でも、いつかまた彼らと一緒に仕事をする日を夢見ている。

3年前は名古屋に住んでいたけれど、その日は出張で東京に来ていた。
恵比寿のウェスティンホテル東京のロビーで待ち合わせ。

まず、奥さんが現れた。
「おー、ひっさしぶりー!」
この人は明るくて、キップのいい姉御肌。財前直見に似ている。
年齢は私より5つ上。
「社長は後から来るからさ、お茶でもしてようよ」

私が卒業した後、彼らは独立し、CG開発関連の会社を2つ立ち上げていて、奥さんは旦那さんのことを「社長」と呼んでいた。
私は奥さんのことは、旧姓でIさんと呼んでいた。

ウェスティンホテル1階のコーヒーショップで「社長」を待ちながらお茶をした。
「最近こんなこと始めたのよー」というIさんの話は、いかにも楽しそうだった。
「yukottoちゃん、うちに来ると面白いよ~」と、あんな仕事、こんな仕事と私の前に魅力的なオプションを並べてくれる。

その会話の中で、耳を疑うような話題が。
「そうそう、そう言えば、マトリックスの映画監督が会いに来た話、した?」
「え?ウォシャウスキー兄弟ですか?」
「なんかよくしらないんだけどさー、マトリックスの映画監督よ。
社長にマトリックスのゲーム作って欲しいんだって。
社長のすごいファンらしくって、絶対あなたしかいないって、ご指名なのよ。すごいでしょ」
「へー、それはすごいですよ」
「Sさん(業界的超大物プロデューサーで当時社長の上司だった)じゃないところが笑えるでしょ?
でも、Sさん、呼ばれてもないのに、同席してるの」
「ハハハ」
「でもね、マトリックス公開前に来たから、よく分かんなくて断っちゃったのよね。
あれ、やってたら、すごい儲かったと思うんだけど」
「えー、そうなんですかー?もったいなーい!」
「ほんとにねえ」

Iさんの携帯が鳴った。社長からだ。
「ちゃんと長ズボン履いてくるのよ。長ズボンじゃないと入れないんだから。分かった?」
電話の向こうで「うんうん」と細い目でうなづく社長の姿が見えるようだ。
この夫婦の関係性は、そんな感じ。
マトリックスの映画監督がご指名で会いにきてしまう世界トップクリエイターが、奥さんに長ズボンを履いてくるようにと念を押されている。
そもそも、社長は、どこへ行くにもTシャツにジーンズか短パン、サンダルかスニーカーといういでたちだった。
しかも、彼らは恵比寿ガーデンプレイスの中のマンションに住んでいたので、確かにウェスティンホテルのレストランで食事するにも、近所のコンビニに行くくらいの感覚で、そのまんまの格好で登場してもおかしくなかった。

社長は、言われたとおり、長ズボンでやって来た。
けれどいつものTシャツ姿だ。
かく言う私も、Iさんも、かなりカジュアルな格好だったけれど。

私たちはホテルの22階にある鉄板焼きのお店「恵比寿」までエレベーターに乗った。
ホテルにある鉄板焼きレストランには、接待以外では行ったことがない。
オークラ福岡の「さざんか」、ニューオータニ幕張の「けやき」、どれもいわゆる「社長さん」との接待だった。
今度も同じ「社長」との会食だけれど、これまでの社長は50代、今回の社長は30代前半。
しかも、かたやスーツ、かたやTシャツ。

夜景はどうだっただろう?
接待というのは、なかなか景色まで堪能する気分ではない。
福岡のお店は窓に背を向けて座った記憶がある。
幕張は確か窓が見えた。
でも、幕張だけに夜景といえるほどの明かりが見下ろせたかは定かでない。

恵比寿の夜景は憶えている。
鉄板カウンターの向こうに立つシェフの後ろには、煌くような灯の群れが広がっていた。
客は皆、こじゃれた格好をした、落ち着いた面々だった。
休日だったので接待らしいテーブルは少なかったかもしれないが、年齢層は当然のように高めだったし、品の良い低いトーンで会話を楽しんでいた。

窓の外と、窓の中に、東京が広がっていた。

社長は、好きなものだけ食べたいから、とコースではなくアラカルトで注文を始めた。
こういうお店でアラカルトで頼むと、一体、いくらになるものだろうと庶民は不安になってしまう。
ボトルで空けた赤ワインも、一体おいくらするのだろう。

一緒に働いていた頃からずっとそうだったけれど、社長はグルメで食事に関してお金にいとめをつけなかった。
社長が連れて行ってくれるお店は、学生の私にはあまりに縁遠い高級なお店であったり、あるいは路地裏の素朴な洋食屋であったり、頑固なご主人のいるパリッとした割烹であったり、多種多様だったけれど、どれもとびきりおいしかった。
食いしん坊の私は、「おいしい、おいしい」と言って幸せそうに食べるので、社長は「奢りがいがある」と喜んだ。

「おいしいものをおいしいと感じられる人にしか奢らない」と言う社長は、たぶん、おいしいものを一緒に食べられる人をいつも求めていたのだろう。
社長は、30歳のときにはもう既に、世界レベルのクリエーターとして有名だったけれど、その分、彼は孤独だった、と思う。
彼独特の物づくりへのこだわりは、誰にでも理解されるとは限らなかったし、妥協も同調もしない性格は人との衝突を生みやすかった。
若くで掴んでしまった成功の先の、緊張感やプレッシャー。
充実と自信の後ろに、時には虚しさや不安がよぎることもある。
それでも自らをブーストさせていく情熱。
その情熱さえ嫉妬の対象になりうるし、人は軽々しく成功者の生き方を否定したりもする。

社長とIさんの出会いを私はつぶさに見てきたけれど、Iさんは誰よりも社長を理解し、尊敬している。人生を賭して支えている。

おいしいものは、好きな人と一緒に食べれば、より一層おいしい。
その夜の食事は、また格別においしかった。

そして私は、その夜、ある重大な事実に気づいてしまった。
30そこそこで、普段着で、気遅れることなく高級レストランに行き、好きなものを好きなように注文する。
なんということなく、カジュアルに、軽やかに、生きている。

お金持ちだとかそういう意味じゃなくて、地位や名誉があるとかそういう意味じゃなくて、その格好よさ。
そうやって、どこででもスタイルを守ることができる、余裕。

でも、私が今乗っているエレベーターは、絶対にそこに達することがない。
ウェスティンホテル22階には行かないエレベーターだ。

もしかしたら、ものすごくものすごく努力して、あるいは誰かを踏み台にしたり、あるいは自分を裏切ったりもして、上へ上ることだけに専念すれば、幸運にもそこに達する日もあるかもしれない。
でも、そのとき私はどんなに早くても50代だ。

彼らのように、30代でそこには達することができない。
まして、自分が心地いいと思えるスタイルを守ったままで。

その当たり前の事実に、気づいてしまった。
「高速エレベーターに乗り換えなくてはいけない」
私はその夜、今まで抱いたことがないほど、強い確信を持った。

それが、本当の本当に、私が転職を決心し、実際に動き始めたときだった。

私が乗る次のエレベーターは、上へ行くか、下に行くかさえ分からない。
もしかしたら突然故障して止まってしまうかもしれない。
でも、それまで私が乗っていたエレベーターは、いつどこに到着するかという時刻表がある、未来が見えてしまう、エレベーターだった。
もしかしたら、1階1階踊り場のある、エスカレーターだったのかもしれない。

お見通しの未来ほど、つまらないものはない。

この話を聞いて、クレイジーだと思う人もいると思う。
無茶な生き方、がっついた生き方と思う人もいると思う。

私も、別にそれだけが全てだとは思わないし、そこに迷いがないわけじゃない。
いろんなことを考える。
エスカレーターの何が悪い、とも思う。
弱音なんて年がら年中、吐いている。
くじけそうで、全部投げ出したくなることもしょっちゅうだ。
もちろん、他人の生き方を否定するつもりは一切ない。

でも、世界一流の人と実際に会う機会に恵まれて、その人たちと自分が全く別の人種だとは思えなかったら(彼らは日常生活においては特別な存在なんかじゃなく、ごくごく普通の存在で、だからこそ、誰もが自分と同じ人間と感じるはずだ。彼らだって不安や孤独や迷いを抱えている)、そのとき私と同じことを思うかもしれない。
私はどうしようもないアホかもしれないけど、もう少し、自分を信じてみたい。

大事だと思うのは、自分のスタイルを守りながら、ベストを尽くすということだ。
決して、人を蹴落としたり、自分を犠牲にしたり、そんなふうにして上っていくことを目指しているわけではない。
私は、好きなものを好きでいたい。
大事なものを大事にしたい。
ただ、もう、それだけのこと。

「摩天楼はバラ色に」という映画があった。
マイケル・J・フォックス扮する主人公は、幸運と機知と努力でアメリカンドリームを掴んでいく。
映画はいつも夢の世界を見せてくれるけれど、現実にはその夢を上回る人だっている。

私が大学を卒業するとき、社長が私にくれた言葉がある。
「yukottoちゃんは、何かを生み出す仕事をしなくちゃいけない。
そうでなければyukottoちゃんの力が発揮されないし、幸せも感じられないだろう」

トップクリエイターがくれた言葉。
尊敬する人がくれた言葉。
私は肝に銘じている。

また別の「一角の人物」は、私が東京に戻ることが決まったとき、ウェルカムバックパーティをやろうと言って、1階にある店にこだわった。
高速エレベーターの話を聞いていた彼は、「君は遂に1階からスタートするんだ」と言ったのだ。

摩天楼を駆け上がる高速エレベーター。
恐る恐る、それは動き始めている。
どこへ向かうかも、どこで止まるかも分からない。
扉が開いたとき、目隠しを解かれたとき、そこに見えるものの姿を、私は知らない。

知らないからドキドキする。
それが人生だと思う。


摩天楼(ニューヨーク)はバラ色に The Secret of My Success(1987年・米)
監督:ハーバート・ロス
出演:マイケル・J・フォックス、ヘレン・スレーター、マーガレット・ホイットン他
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by yukotto1 | 2004-10-18 01:08 | 笑える映画