生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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楽観主義的運命論者-君のそばで会おう-


中学2年のとき、部活の1年上の先輩の卒業に当たって、お祝いの品を買いに行った。
一人一人割り当てられた先輩に贈り物を選ぶ。
私の担当はK先輩だった。



「K先輩」と言うけれど、小学校5年生のときに1年間、一緒に学校の放送係をやっていたときには、一つ上でもKちゃんと呼んでいた。
放送係は、朝の始業前と給食の時間、昼休み、掃除、放課後を放送室で過ごすことができる。
給食の時間と昼休みは自分たちの好きな音楽をかけることができ、朝と掃除と放課後は決まった脚本に基づいて、決まった音楽をかけ、決まった台詞を決まった時間にアナウンスする。
「下校の時刻になりました。気をつけて帰りましょう」とかいう、校内アナウンス。

毎週木曜日の放送係は、6年生のKちゃんと5年生の私とMちゃんだった。
放送室には鍵がかかるので、よく3人でそこで「キューピット様」をやったり、少女マンガを読んだりした。
ホラーや心霊といったものが好きだったMちゃんが、当時週刊マーガレットで連載していた「銀の鬼」という美しい人喰い鬼にまつわる悲劇を熱烈に勧めたおかげで、3人の間でそれがブームになった。
すっかり感化された私たちは、ミステリアスな銀の鬼の美しくも哀しいイメージに浸ったりもした。
下校放送を終えた後、全校生の面影に置き去りにされたような放課後は、そんな空想を増幅させたものだ。

そんな親しいKちゃんの中学卒業に当たって、私は「本を贈ろう」と思った。
単純な話、Kちゃんは読書家だったから。

人のために本を買うのは、初めてのことだった。
見た目にきれいな本にしようと思って、商店街の本屋で平積みの詩集をなんとなく眺め、その中でたまたま目に留まったのが、銀色夏生の詩集「君のそばで会おう」だった。

美しく感覚的な写真とともに、リズムよく心の機微が詩に綴られている。
一番最後のページに、詩集タイトルでもある「君のそばで会おう」が載っている。


「君のそばで会おう」

終わってしまった恋がある
これから始まる恋がある
だけど
僕たちの恋は決して終わりはしない
なぜなら
終わらせないと僕が決めたから

自信を持って言えることは
この気持ちが本当だということ

いろんなところへ行ってきて
いろんな夢を見ておいで
そして最後に
君のそばで会おう



当時、その詩の意味が分からなかった。
不思議な詩だと思った。
銀色夏生という名前さえ知らず、ずいぶん長いことそれが女性であることを知らなかった。
なぜなら、彼女の詩は主語が「僕」であることが多く、そしてそれがまた、男性のものだとしても女性のものだとしても、とてもリアリティがあったから。

たいてい恋のことを綴る彼女だけれど、人の生活の主たるところは、誰かを想う気持ちによって支えられ、色づき、輝くものだということは、中学生の私でも知っていたし、だからこそ、そこに恋の詩以上の普遍的な何かを感じ取ることもできたのだと思う。

「君のそばで会おう」の意味を、私なりに理解するに至ったのは、高1のとき。
恋愛がらみの人間関係に悩まされていたとき、再び、この詩を読み返したのだ。(この本は、Kちゃんと自分のために二冊買った)

色々と悩んだりもする。
わがままも言ってみる。

あれがやりたい、これがやりたい。
あれが好き、これは嫌い。
あそこへ行きたい、あれが欲しい。

私の欲望は尽きない。
そんなに好きなことばかりして、私は何かを見過ごしていないか。
私は何かを失っていないか。

あるいは、将来、自分がどうなってしまうのか、不安でたまらなくなったりもする。
私は正しい道を進んでいる?
私はこのまま行って、ちゃんと幸せになれる?

幸せになるためのレシピがあるなら、その通りにトライしたい。なんてアイデアが、この私にだってよぎることはある。

でも、「君のそばで会おう」を読み返して気がついた。
私が、いろんなところへ行ってきて、いろんな夢を見てきても、その間に何かを失ってしまうなんて恐れる必要はない。
なぜなら、最後に残るべきものが残り、あるべきものがあるはずだから。

ここに至って私は運命論者になり、最後に待つものが幸せに違いないなら、最後に私の傍らにあるはずのものに出逢うまで、私はいろんなところに行って、いろんな夢を見ればいいのだ、と。
自由に、好きなように、生きてみよう。
その時々の心に従って。

それからは、もっと人生を楽しめるようになった。
そして、角を曲がる先のものに、いつも問いかける。
「あなたなの?」

そうであればそうだし、そうでなければそうでない。
たぶん、まだ分からない。

なんと言っても、私が私のそばでそれに出逢うのは、最後の最後なのだから。
ただ間違いなくその場所は、私のそば。
私のいない場所ではない。そのとき、私がいる場所であることだけは確か。

中学2年の私には俄かに分からなかったけれど、1つ年上のKちゃんは分かったかな。
もちろん詩には様々な解釈があるものだけれど、Kちゃんの解釈はどんなだったんだろう。
そして、Kちゃんはどうしているんだろう。
Kちゃんのそばに、いま、何があるんだろう。


君のそばで会おう
著者:銀色夏生
出版社:新潮文庫
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by yukotto1 | 2005-01-07 00:53 |