生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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ひいおばあちゃんの思い出-むごう風のひど吹くね-

a0032317_22385776.jpgうちのひいおばあちゃんが96才で大往生したとき、私は19才だった。
仮面浪人生で実家を離れて大阪で暮らしていたときのことで、当時一緒に暮らしていなかった分、まるで彼女が死んでしまったことが、いまだに嘘みたいに思える。

96年も生きたので、みんな大して悲しむでもなく、「まあ、一生をまっとうしはったね」といった感じの和やかな弔いだった。
18年以上一緒に暮らして、いっぱい一緒に遊んだひいおばあちゃんだったので、もちろん寂しい気持ちはあったけど、年をとってもいたずらな表情を浮かべる意地悪ばあさんの想い出は、しっかり心に刻まれていて、彼女との関係に後悔はない。



先日、直島を訪れた際、公園で何人かのお年寄りがゲートボールをしているのを見かけて、ひいおばあちゃんのことが思い浮かんだ。
近所の友達に誘われて、一時ゲートボールを始めたひいおばあちゃんだったけど、何度やってもルールを覚えられず、皆に注意ばかりされるので、気の強い彼女は腹を立ててやめてしまった、なんていうエピソードを思い出したのだ。

強情でいたずらで、あっけらかんとした人だった。

毎日、お決まりの散歩コースがあって、朝の5時には間違いなく起きて、午後3時近くまで外をふらふらしていた。
親戚の家や友達の家を、順々に訪ねては縁側でお茶をよばれながら他愛ないおしゃべりをするのだ。
相手もおばあさんだけど、それでも大抵は彼女よりずっと年下の友達ばかりで、みんなに「おばあちゃん」と呼ばれていた。

私たちが保育園に通っていた頃は、4時のお迎えが日課で、それを自らの仕事として使命感に燃えていた。
毎日3時半にもなれば、保育園の門の前で一人植え込みの段に彼女が腰を下ろして待っている姿を目にすることができた。
あるとき、彼女が家に寄らずに外出先から直接お迎えに行ったとき、忘れているんじゃないかと心配した母がお迎えに来て、それを知ったひいおばあちゃんがひどく怒った、なんてこともあった。

彼女にとって、子守は仕事だった。
家事は一切しない人だったし、外に働きに出たこともなかったので、子守だけが唯一の彼女の仕事、唯一のプライドとも言えた。

ごくごく幼いときに養子に出され、そこからさらに奉公に出て、奉公先の赤ん坊の世話をしていたらしい。
小学校に行くのにも、背中におぶって授業に出、赤ん坊が泣いては廊下に追い出される日々だったのだと言う。

子どもをあやすのが大得意で、みょうちきりんな歌を色々知っていた。
懐かしい童歌もあれば、昭和初期の流行歌、まじないのようなリズムの歌、中には日露戦争での日本の勝利を囃す歌もあった。

19世紀生まれであるひいおばあちゃんの子守は、数々の世代をまたいでいる。
奉公先の子ども、近所の子ども、彼女の子ども、彼女の孫、そして私たち兄弟、つまり彼女のひ孫も皆、いわば明治時代式の子守を受けた。
私も、弟たちも、父も叔父も叔母も、少なからず彼女の影響を受けて育ったのだ。
そして彼女にとってみれば、あらゆる世代が守をすべき子どもたちであり、そしてまた、同じ目線の友達のようだった。
私たちは、本当に、彼女とよく遊んだのだ。
毎日、毎日。

学校から帰る途中、時々散歩帰りのひいおばあちゃんに出くわすことがあった。
徒歩と呼ぶにも遅すぎるスピードの彼女を見つけると、「おばあちゃあん、一緒にかえろかー」とダッシュで駆け寄ったものだ。
「はあ、あんた帰りか」としわくちゃのまるい顔で笑う、ひいおばあちゃん。
手をつなぐと、猫背であんなに小柄なのに、手のひらだけがしっかりと大きな大人のそれであることに、なぜか毎回驚いた。
家事も仕事もしないせいか、昔の人にしてはきれいな指先なのもアンバランスだった。

歩幅を彼女に合わせ下校する放課後が、私は大好きだった。
いかにも関西人らしく、アホなギャグばっかり言って人を笑わせ、そして自分もケタケタと笑う、そんなひいおばあちゃんが大好きだった。

天草のローカルインターネットテレビ局「天草テレビ」。
このサイトを時々私は訪れる。

偶然にネットサーフでたどり着いたサイトだったけれど、妙にツボにはまってしまったのは、名物「世界最高齢の女子アナ」。
天草弁のおばあちゃんがアナウンサーとして様々な場所や人やイベントをレポートする。
今は二代目に交代したのだけれど、初めてアクセスしたときにはまだ初代女子アナ広田アヤさんが現役で、その、「アヤちゃん」というのが、私のひいおばあちゃんに似ていたのだ。
(二代目のツルちゃんもかわいい)

ひいおばあちゃんに会いにいくような気持ちで、なんとなく、天草テレビ、訪れてしまう。
ローカルなネタを扱う手作り感と、微妙な面白センスにも惹かれている。

その天草テレビで紹介されていた歌「むごう風のひど吹くね」。
天草弁で歌われる。
まるで100年近くも生きた人の含蓄のような響きもあるけど、要はごくごくシンプルなこと。

「会いたか人には会いなっせ」

その気持ちに素直に、ためらうことなく、自由に。
会いたい人にはストレートに、会いたいと言える私でありたい。
ひねくれ者なので、ちょっと難しいのだけれど。

ひいおばあちゃんならきっと、ためらうことなんかないだろう。
いつも彼女は、自分の気持ちに素直で無邪気で自由な人だった。
子どものようで、友達のようで、でも、ちゃんと人生の極意を知っている。

そんな彼女に憧れる。



「むごう風のひど吹くね」 詞・曲・歌 むたゆうじ

何のあったか知らんばってん 自分を責むった ようなかよ
どぎゃん きつかて思たてちゃ 絶対 死ぬこつぁならんばい
 
苦しか 寂しか 切なかち 嘆いてみろごてなるもんね
ばってん もともとあたるまえ 生きていこっちゃ そぎゃんこつ

会いたか人には 会いなっせ 何回会ゆっか わからんよ
愛しか人なら 抱きなっせ みんな消えちゆくとばい
むごう風のひど吹くね  むごう風のひど吹くね


世間 世間 て言うたてちゃ 羽振りん悪なりゃ 冷たかよ
どうせ田舎の出じゃろうがい 生き恥さらして 生きなっせ

よかよか ここで泣きなっせ 我慢せんでちゃ 良かとよ
こらえんでちゃ良か 泣きなはっ

会いたか人には 会いなっせ 何回会ゆっか わからんよ
愛しか人なら 抱きなっせ みんな消えちゆくとばい
むごう風のひど吹くね  むごう風のひど吹くね


訳詞はこちらです
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by yukotto1 | 2005-02-03 22:01 | 音楽