生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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恋について-アニー・ホール-

昨晩、仲の良い友人と電話で話した。

久々のシリアス系恋愛談義。

一通りon goingなあらましを話した後、「そもそも恋愛とは?」「人とどう対峙すべきか?」「自分は何を求めているか?」「どうありたいのか?」といったことを語り合う。

彼女とはもう6年の付き合いで、その間、お互いのプライベートをつぶさに見てきた。
まさしく波乱万丈な、「アリー」な彼女である。




そして度々私たちは、そんなふうにお互いの心理を、難破船の宝探しをするみたいに探り合う。
深層へタッチするような、丁寧で慎重な作業だ。

相手を見るようで、自分を見る。
難破船は、私の底に眠っている。

ここのところ相次いで、男性から「壁を感じる」と言われた。
そう言うとき、相手は決まって同じような目をする。

私は笑ってはぐらかす。

それはその通り、意図的に壁を作っているのだから。

それは「あるべき壁」だと思っている。
責任を負う確信のないものに対して、その壁をなくすことには慎重になる。

仮に客観的、あるいは相手からどう判断されようとも、主観でそれを「恋じゃない、勘違いしないで」と言い切る大胆さがあるならいいのだけれど、私はそういうのが得意じゃない。
世の中には暗黙のルールのようなかたちで、恋とも遊びともつかない男女関係が成立しうることも事実だし、そこから始まる「本物」だってもちろんあると思うけど。

その点では、いつも迷う。
自由に泳げる人に対して、少し羨望も、嫉妬もある。

「本物」の見極め方もよく分からないし。
優柔不断と言われてもしかたない。

でも、壁はなくせない。
私のできる範囲という意味では、たぶんそれでいいんだと思う。

いや、もしかしたら、壁はどんな人でも持っていて、ただその位置をどのくらいの半径に置くかというだけのことかも。
誰にでも壁のない人など、もちろんいない。

「どんなとき人を好きになるの?」と訊かれた。
つまり、「その壁がなくなるときってどんなときなの?」と訊かれている。

いろんなケースがあると思うし、一概には答えられない。

だって、そうでしょう?

それは、言葉では説明できない。

「アニー・ホール」という映画がある。
主人公アルビーは、アニーと出逢い、恋に落ちる。
どうして二人が恋に落ちたのか、それは分からない。

人が人を好きになるときは、ただちょっとした空気感、リズム、テンポみたいなものに依存している気がする。

かたちのないもの、説明のつかないものをきっかけに、出逢って深く関わり合い、離れ難くなるのはなぜだろう。
そしてまた、気まぐれにすれ違い、心離れていくのはなぜだろう。

毎週のように違う人とデートしても、100人いたら100人違う。
私と相手の間で起こる、ささやかな風の向きが違う。

恋が始まるときというのは、「よく分からないけれど彼だといい感じ」という程度のもの。
それ以上の説明は、本当に難しい。

「会いたいから会う」というのと、「相手を知りたい(判断したい)から会う」とか「関係を変化させたいから会う」というのは微妙に違うと思う。
最近は、そのどちらなのか混乱することもあるのだけれど、たぶん後者ばかりなのだと思う。

壁がなくなるときというのは、ただ純粋に、「会いたい」という気持ちが走るとき。
それがどんなときなのかとか、誰に対してなのかとか、そういうのは予期できない。
でも、然るべきときには、ごく自然に、なんの苦もなく壁は消えるのだと思う。

この映画は、ありふれた恋に似ている。
小さなラブストーリーを描くこの映画の空気感そのものが、いわば恋のかわいらしさ、愛おしさ、可笑しさ、哀しさに似ている。

たとえば思わずこぼれた、小さなあくびのような。


アニー・ホール Annie Hall(1977年・米)
監督:ウディ・アレン
出演:ウディ・アレン、ダイアン・キートン、トニー・ロバーツ他
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by yukotto1 | 2005-03-11 02:01 | 考えてしまう映画