生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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夜の白む道-誰も知らない-

やがて夜は白んでくる。
黙って、彼らは朝の中を歩く。
タテタカコの、溶けていくような歌声。

今さらながらなのだけれど、週末、「誰も知らない」を観た。
まもなくDVDが出るという時期なので、東京中で現在公開している劇場はほとんどない。
渋谷の雑踏を歩くのは久々で、無骨な若さの群れを分けるように進む。
ドンキホーテ前で、1年半ぶりの友人と落ち合った。



友人は、穏やかで静かで深い情熱を秘めている。
私は彼と話すだけで、自分の心の有り様を顧みてしまう。
彼のように、柔らかなバランスでありたいと思う。

そういう人と観にいく映画は何にしようかと考えて、「誰も知らない」を選んだ。
私もずっと観たかったし、カンヌで賞をとったポスターの少年の滲み出るオーラは、ちょっとその友人を思い出させたから。

4人の子どもたちをアパートの一室に置き去りにして、彼らのただひとりの身寄りである母はいなくなる。
子どもたちは、母がひっそりと生み、出生届も出されぬまま、この世に居るはずのないものとして存在している。
その父親はみんな違っていて、一緒に暮らしてはいない。
「誰も知らない」兄弟は、それでも確かに存在している。

2時間半もの淡々とした映画だった。
それでも、鈍いものがゆっくりと差し込んでくるような痛みがして、スクリーンが息づかいさえ奪ってしまった。

どこまでが演技で、どこまでがナチュラルなのかさえ分からない、幼い子どもの母を見つめる瞳。
我が子を決して部屋の外に出さず、学校にも行かさず、嘘で固めて生きる母。
長男に子育てを委ね、自分は外で恋をして、時には酔っ払って帰宅する母。
それでも、母が嬉しそうにする姿を、幸せに満ちたように彼らは見つめるのだ。
彼らにとって、愛とは母、その人だけ。

生まれたてのヒナ鳥が初めて見たものを母と思って、どこまでもそれについて行こうとするように、彼らは彼女にまっすぐな従順を捧げる。
それは動物の本能に近い、愛の姿に思えた。

だからこそ余計に、置き去りにされた後の長い時間は、切ない。
ただ一つの愛の対象が残した、理不尽な言いつけを、ただ守るしかないのだから。
食べることより、笑うことより、生きることより何よりも、彼らは母への愛を選ぶしかなかった。
泣きもせず、わめきもせず。

社会性に汚されることもなければ、人はそんな無力な生き物なのかもしれない。

長男が買物をするために外出し、帰宅して部屋の扉を開ける度、期待と予感がよぎってドキドキとする。
いい期待と悪い予感。

何かが起きる、何も起きない。

こういう都会の現実は、怒りでは処理できない。
悲しい犠牲は、涙でも処理できない。

現実にあった事件をモチーフにしていることは有名だけれど、実際は映画よりもずっと陰惨な事件であったと聞いた。
現実をありのまま描かなかったことは、成功だったと思う。

ショッキングさの中ではなくシンプルな歪みの中で、この映画は「人が生きるということ」を振り返らせるからだ。

誰に教えられることがなくても、人には生きようとする意志とエネルギーが宿っている。
けれど、少年は、決して「生きるために」犯罪を犯さない。
「生きるために」母を裏切ることもしない。

ただ、どうしていいか分からないだけだ。
失いかけた愛と、途方に暮れる未来との下で、どうしていいか分からないだけだ。

それでも、やがて夜は白んでくる。
黙って、彼らは朝の中を歩く。
タテタカコの、溶けていくような歌声。



誰も知らない Nobody knows(2004年・日)
監督:是枝裕和
出演:柳楽優弥、北浦愛、木村飛影他
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by yukotto1 | 2005-03-14 00:38 | 切ない映画