生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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ピアノマンに寄せて-ピアノ・レッスン-


最近のYahoo!ニュースで時々見かける、「ピアノマン」の話題が気になっている。

イギリスの海岸でずぶ濡れのタキシード姿で発見された記憶喪失の男性。
言葉を話せず、紙とペンを与えると精密なピアノの絵を描いた。
ピアノを持ち込むと、狂ったようにそれを弾き続けた。

ビリー・ジョエルの曲にちなんで「ピアノマン」と名づけられた彼について、ヨーロッパ中から情報が寄せられているが、まだ正体は分かっていないのだと言う。



嘘みたいだけど、実話らしい。
まるでその設定そのものが、映画みたい。

この出来事をもって、「シャイン」や「ラヴェンダーの咲く庭で」に似ていると報じている記事をいくつか見た。
とり憑いたようにピアノを弾く様や、海岸に遭難した音楽家というシチュエーションが、似ているというのだろう。

確かにそれらも似ているかもしれないが、私がすぐさま思いついたのはオーストラリア映画「ピアノレッスン」だった。

開拓時代のニュージーランドに移民してきた女性とその娘、新しい夫。
そして、原住民に同化した生活を営む、通訳の男。

女性は口が利けない。ただ、彼女にできる表現手段はピアノを弾くことだけ。
鍵盤に指を這わせ、音を奏でる、ただそれだけ。

彼女は、この未開の土地にさえ、はるばるピアノを持ち込んできた。
なぜなら、それが彼女の命だから。

海から船で海岸に着き、荷物を森の奥の小屋まで運ぶ。
空はくぐもり、波は黒くうねっていた。
ひんやりと湿った風。

新しい夫はピアノを森の奥に運ぶのは無理だと言った。
彼女は懸命に抵抗するが、声をもたない者の望みは応えられることがない。

砂浜に置き去りにされた、かわいそうなピアノ。
波打ち際で行き場を失った、かわいそうな命。

彼女は海岸に通い、ピアノを弾く。
流れるように哀しい調べを弾く。

それを目にした通訳の男が、彼女に条件を出す。
そのピアノを運んでやるかわりに、弾き方を手ほどきして欲しい。

彼女は当然のようにそれを呑み、その粗野な男にレッスンを始めた。
男の住む狭い小屋の中で、鍵盤を一つ、ひとつ。

これが説明の難しい官能的な関係のはじまり。

手探りに解きほぐされる心の鍵は、最後まで言葉など必要としない。
調べ優しく、流れ狂おしく、遠い土地と時間に全てを見届け感情を結わえさせるのは、ただひとつピアノ。
それだけが、あらゆるものに差し置いて万能だった。
なぜなら、それが彼女の命だから。

美しく叙情的な映像で織り成す「ピアノレッスン」は、やがて報いのようなクライマックスを迎える。
命ほどの存在と敢えて決別することと引き換えに、永遠になるもの。自由になるもの。

いずれにしても、寡黙で、そして「音楽ある」雄弁なドラマ。

正体不明のピアノマンには想像を誘うミステリーが多いが、彼は既に言葉なくして雄弁に語っているのかもしれない。
不器用にも言語(オーラル)ほどしかコミュニケーションの術を持たない私たちは、いつの日か彼が声と記憶を取り戻し、そのドラマの内幕を語ってくれるのを待つより他にない。



ピアノ・レッスン(1993年・豪)
監督:ジェーン・カンピオン
出演:ホリー・ハンター、ハーヴェイ・カイテル、サム・ニール他
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by yukotto1 | 2005-06-04 03:56 | アートな映画