生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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上達のステップ-ピンポン-

a0032317_161413.jpg物事には上達のコツみたいなものがある。
私はわりに飲み込みがいいタイプ。
たいていのことは、すぐに「それなり」になる。

でも、ただ「それなり」になるだけ。
それ以上には決してならない。

かつて、5年ほど前、異様にテニスにはまったことがある。
なぜ?というのは、まあ、いろいろと背景があるのだけど、なかなかヘビーな話なので、そこにはあえて触れない。



週1回のスクールと週末2日のうち1日は必ずテニス。下手をすると両方テニス。
週末のテニスは、一回いけば最低3時間。
ひどいときは、ほとんど一日中テニスコートで過ごす。

上手くなりたかったし、テニスをしているときは無我夢中で、無心になれるのが好きだった。

まさに、部活状態。
会社の先輩に面倒見のいいコーチがいらして、随分練習に付き合ってもらった。

他にやることがなかったの?という感じだが、実際、ほとんどやることがなかった。
東京に足繁く通う直前の半年くらいの頃のことだ。

あれだけさんざんやったので、当時は、日が浅いわりにはまあまあ上手くなったと思う。
右腕と左腕の太さがちょっと違っちゃうくらいの、はまり方だった。

で、最近、友人に誘われて、久々にテニスをしたわけだけれど、どうもあたりがよろしくない。
どんな感覚だったかなあと探っているうちにほんの2時間の練習が終わってしまう。

一般に、フォアストロークから始めてバックハンドストローク、ボレー、サーブ、ゲームみたいなのが2時間コースだと思うのだけれど、個人的にはボレーとサーブは体が覚えているようなので、そっちから先にやって欲しい、などとわがままがよぎる。
普通のラリーより、サーブから始めるラリーの方がうまくリズムがつかめるのは、球筋に勢いがある方が打ちやすいからだろうか。

そういうイレギュラーなオーダーは、レッスンの定石からすると良くないんだろうか。

でも、上達のステップとか、そのスピードというのはその人その人で固有のものがあって、そのパターンを自覚しているかどうかというのが、成長曲線のRを決めるように思う。
己を知るって、大事なこと。

夏休みの間にベルリッツに行き、英語でのnegotiationについて学んだのだけれど、テキストにそのポイントの一つが「自信のある態度をとること」だという記載があった。
先生が「自信を持つにはどうしたらいい?」と訊くので、「うーん、どうすればいいんだろう?」と考えていると、「あなたは自信を持っているでしょ。あなたがどうやってそれを持っているのかを答えればいい」と言われ、「まさか」と耳を疑った。

私、自信あるように見えますか?

先生が言うには、「教室に一歩入って、あなたが自分に自信を持っていることが分かった」とのこと。
「私は何十年も英会話の教師をやっている。
でも、自分に自信を持っている日本人なんて滅多にいない。
英語が相当うまく話せる人でさえ、自信がなさそうだ。
でも、一瞬見ただけで、あなたは自信をもっているのだと思った」

その先生は50才に近そうなアジア系アメリカ人で、確かにキャリアは長そうに思えた。
普段は日本橋校で教えているらしく、夏休みシーズンのヘルプでその日だけ品川に来たのだと言っていた。
どうりで初めてお会いする顔。

私に関して、特に自分の英語力に関して、自信があるかというと、それは結構な疑問だ。
確かに自信を持とうとして無理にでも持つことがあるし、ある分野に限れば自信があることもないではない。
でも、こう見えて結構な臆病者だし、下手をすると物事を悪い方にばっかり心配してしまうことも多く、そうなると食欲がなくなったり、胃が痛くなったりと、到底、私は「自分に自信のある人」には程遠いように思う。

とはいえ、振り返ってみると、人から「自信あり」と思われている節はあるかもしれない。
2つ目の大学に入学して、初めてクラスメイトと顔を合わせたとき、なかなか仲良くなれなかった女性がいたのだけれど(今は仲がいい)、彼女が言うには初対面で一瞬にして私が「自分に自信を持っている人」に見えたらしく、そういう人が苦手なので敬遠していたのだそうだ。

仕事の場ではよく、「yukottoさんって、言い切りますよね。なんでそんな自信もって言い切れるんですか」とか言われたりする。
よくよく考えてみるに、言い切っている内容に強い自信があるというよりは、「そういう話し方をする」というだけのことだと思う。
で、そういう話し方は、なるほど交渉事を結論づけるには決して悪くない方法だというのも、嘘ではない。

言ってしまったことに対して、それが正しいかどうかは、それから探しにいけばいいんではないかと思ったりする。
直感的に「こうだ」と思ったことを言い切って、その裏づけを探しに行く。
物事なんて捉え方の角度次第なのだから、直感の裏づけに足るものさえ見つかれば、それが「真実」という思考法は、もしかしたら、ロジカルさとか網羅性とか緻密さとかが要求される現在の私の職業にはあまり合っていないかもしれない。

違ってたときは、「アハ!違ってました☆」と舌でも出せばいいんじゃないかと思っている。
違ってたところでそんな大した問題じゃないでしょ、と。
そういうのを楽観的だと指摘されることも多いし、無責任とも言われるかもしれないが、まあ、そういうのも人のスタイルなんじゃないかと思う。
実際、それでそんなに大きく失敗したことはない。

自分の言っていることに決して自信はない。
でも、それが仮に違っていたとしても、それをリカバーする方法については自信がある。
そんな感じだろうか。

テニスの練習と同じように、人とは違っていてイレギュラーかもしれないけれど、でも、一番自分がやりやすいやり方っていうのは、どうしたってあるものだ。
どこかにたどり着くためにスタイルを崩すより、スタイルを守りながら自分を一番活かしていける、そういう環境に自分を置く方がずっといいと、そんなふうに思ったりする。
その方が、世のため人のため、「私」の効率活用なんじゃないかと密かに小心者の自分に言い訳してみたり。

でも、だから私って、結局何をやっても「それなり」なんじゃないかなーと悪い癖を反省してみたりもする。

個性的で強烈な「自己流」キャラが卓球に青春を賭ける、映画「ピンポン」。
才能があるんだかないんだか分からないけれど、「卓球でこの星の一等賞になる」と根拠のない自信を持ち勝つことにこだわるペコと、「卓球は死ぬまでの暇つぶし」と言い放ち全くやる気はないが、秘めた才能を持つスマイル。

練習が自己流のうちは、なかなか勝てない。
けれど、それぞれコーチがついて一見理不尽にも感じる練習に耐え、その結果、二人はめきめきと上達を遂げていく。

でも、最後の最後には、才能やスタイル以上に大事なことがある。

何よりそれが好きなこと。

そこにおいては、どんな言い訳も通用しない。

なんとなくそれが一番しっくりくる答えのような気がし、だから、ただでさえ面白いこの破天荒な映画の結末にちょっとほっとして癒される。



ピンポン(2002年・日)
監督:曽利文彦
出演:窪塚洋介、アラタ、李燦森他
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by yukotto1 | 2005-09-05 01:07 | 笑える映画