生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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二度逢うということ-セレンディピティ-

a0032317_17173863.jpg金曜の夜は、知り合いの経営者の方と、かなりのお久しぶりで逢った。
年齢は3歳上なだけなのに、お仕事柄か、あるいはお子さんが二人もいらっしゃるせいか、ずっとずっと落ち着いた大人の方に思える。

お久しぶり、と書いたけれど、前にお逢いしたのは確か昨年の10月。
ブログを紐解けば、このときだったと思い返せる。
ほとんど一年が経とうとしている。



しかもよく考えてみると、それが初対面であったことも振り返る。
ということは、これは二度目。

なぜかよく知る人のように思うのは、やはり共通の知人が多く、度々その方のことを耳にするからだろうし、GREE.jpのようなSNSを通じて、なんとなく近況が分かったりするからかもしれない。

確かにメールのやりとりは何度かあったし、そういえば唐突に、その方の出張にお誘いいただいたことさえあった。
「出張にお誘いいただく」というのも変な話だけど、全く不自然さがないというか、本気でご一緒してみたいような気分になった。
まあ、そのときは突然だったし、おそろしく仕事が忙しい時期でそれも実現しなかったのだけれど。(昨年10~11月くらいの記事を確認すると死ぬほど忙しそうに見える。なんでこういう大変だったことは忘れちゃうんだろう?)

でも、非常に直感的に、私はこの方とはこれから長いお付き合いをするんではないかと思ったのだ。
ビジネスや、あるいは人生のほんの少し先輩として、貴重な導きを与えてくれるような人のような気がしたし、もしかしたら何か一緒に作っていけそうな。
「また必ずお会いする方だろう」と、確信に近く感じたりした。

そういう出逢いって、ときどきある。
いや、毎日すれ違う見知らぬ人の数や整理しきれないほどの名刺の枚数を考えれば、それは時々なんかじゃなく、奇跡的な確率かもしれない。
でもそれが起きたときには、あたかも必然であるようだし、そして確かにそれは必然なんだと思う。

会社のある先輩はこんなことを言っていた。
「忙しくて様々なことが充実しているような人、つまり君が本当に出逢いたいと思っている人との出逢いというのは、最初はどこかで軽く挨拶を交わす程度で、それからもう一度何かの場でばったり出逢うとか、思いがけない場所で名前を聞くとか、そういうところから始まるもんなんだよ」

その言葉に、なぜか妙に納得した。
もう一度逢うべき人とは、なんらかしら、必ずまた逢うもの。
このブログでも何度か述べているように、私は「楽観的運命論者」なので、最初の出逢いから先は「次」を静かに待つというスタイルがしっくりきた。
ここ1年くらい、少し心がけている。

もちろん、それが偶然の再会なのか、ふとしたきっかけでその人の名前を耳にしてなんとなく思い立って連絡してみようと思うのか、どんな経路を辿るかは分からないけれど。

映画「セレンディピティ」では、縁の切れ端のような出来事を「サイン」と呼んでいた。
それぞれに恋人のいる男女がふとした縁で出逢い、何かしらのインスピレーションを感じるのだけれど、運命論者の女性は「もし私たちが結ばれる運命なら、必ずまたどこかで逢うはずだ」と言って、連絡先を交換することを拒み、持っていた本に自分の名前と連絡先を書いてその本を古本屋に売ってしまう。

再会することもなく数年後、別の相手と結婚を控えたふたりは、あの束の間の出逢いを思い出し、どうしてもその人に逢いたくなる。
けれど、連絡先も名前さえも分からない。

そうして、ふたりはそれぞれに、相手を探して「サイン」をたどっていく。
たとえば、なにげなく話題にした古い映画のポスターを街中で見かけたとか、ふたりが出逢った日に買い物したレシートを古い紙袋から見つけたとか。

定かでないが、それを「運命」と呼ぶのだろうか。

でも、実際には、運命を手繰り寄せている根っこは、「また逢いたいな」という気持ち。
それがなければ、人はサインにも出逢わない。
だって男性の方は、古本屋を見つけるたびに彼女が連絡先を書いて手放した本を、いつも探してしまうのだから。

今、私にとって最も大切な人との出逢いも、最初はごく軽いものだった。
半分プライベートで半分仕事のような、大勢人がいる場で出逢い、少し会話した。
感じのいい人だとは思ったし、もっとお話をしてみたいと思ったけれど、でもそれ以上踏み込むことはなかった。
「縁があるなら、またどこかで逢うだろう」と思ったのだ。
実際、共通の知人が多く、出逢いそうなシチュエーションはいくらでもあるような気がした。

それから数ヶ月後、ほとんど忘れかけた頃にメールが来て、逢ってすぐの頃からずっと私のブログを読んでくれていたのだと教えてくれた。
それは思いがけず、内心とても嬉しかったのだけれど、それでも「次」の約束はまだしなかった。

きっかけは、その後、もう一度ばったりと出逢ったこと。
また大勢人がいる場で、「あ」という感じに。

でも、たぶん違う。

どこへ行ったときにも、彼を探していたのだ。
「また逢えたらいいな」と、淡い期待のなかで。
だって、そのとき同じ場で、ほんの一週間前に出逢ったばかりのまた別の人に声をかけられたのに、その人の名前さえ思い出せなかったもの。

結局、その場でも三言ほど交わしただけだった。
彼が立ち去った後、私は一緒に来ていた友人に、「あの人に逢いたかったんだよね」と言った。

そして、彼にメールを送ろうと思った。

二度逢うということ。

初対面でまた逢いたいと思って、本当にもう一度逢えた人というのは、それだけで特別なことだと思う。
金曜に再会したSさんとは、1年ぶりだというのに妙に意気投合して、Sさんの新規事業立ち上げのミーティングに急遽参加することになった。

ごくごくシンプルに、面白そうだと思ったから。
そう思ったら、深く考えずに動く。

二度目以降のご縁は、もう何もためらうことはない。
あとは、タイミングを逃さないようにする、それだけ。


セレンディピティ Serendipity(2001年・米)
監督:ピーター・チェルソム
出演:ジョン・キューザック、ケイト・ベッキンセール、ジェレミー・ピーヴン他
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by yukotto1 | 2005-09-18 23:46 | ハッピーになる映画