生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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電子レンジがチンと言う-真珠の耳飾りの少女-


英会話を始めた父、ネットオークションを始めた母、そして、私も今日、ちょっとした「初めて」を経験した。
長年興味があったのに、なぜか機会を逸し続けてチャレンジできなかったのだけれど。

やっと、ピアス。
30にして、やっと。



先週の日曜日、「やることリスト」を作ることにした。
あれもこれもと気持ちが分散してしまうときは、思いつくままリストを作るに限る。
ノートを開いてペンを片手に、窓の外など眺めながら考えを巡らすそのひとときが、私は好きだ。

キッチンの棚の整理。
コートのボタンつけ。
雑誌の束を捨てること。
携帯電話の機種変更。
もらったメールに返信を書くこと。

たとえばそんな感じに、思いつくまま。

書き始めると、「やらなくちゃいけないこと」と「やりたいと思っていること」が混じる。
それから同時に、「今すぐやらなくちゃいけないこと」と「いずれやらなくちゃいけないこと」、「近いうちにやりたいこと」と「将来的にやりたいこと」なんかの区別も出てくる。

そんなわけでマトリックスを作る。

横軸に「やらなくちゃいけないこと」と「やりたいと思っていること」。
縦軸は「短期」と「長期」。

おのずと優先順位が決まる。
そして日曜日の残りの時間に対して計画を立てる。

「やりたいと思っていること」の中に、「ピアス穴を開ける」というのは、たぶんここ数年ずっと挙がっている。
でも、いっつもそれが「そのうちにやりたいこと」という曖昧なポジショニングで、しかも開けるならなんとなく秋冬がいいんじゃないかという気がして、大きな理由があるわけじゃないけど、「まあそのうちに」「秋が来たら」と延ばし延ばしになっていた。

こんなんじゃ、いつまで経っても実現しない。

そう思っている間にもはや30代。
どんなお店に行ってもたくさん並ぶピアスをどれ一つ身につけられないということが、まるで大きな機会損失かのように感じる日々は、もうそろそろ終わりにしたい。

とういことで、「ピアス穴を開ける」というミッションは「やりたいと思っていること」の「短期」のマスに書くことにした。

そう。今すぐ日程を決めよう。

ネットで近くの美容外科を探して、その場で電話をする。
「来週の土曜日に」と覚悟を決める。

ついでに、美容外科に併設している審美歯科の予約も入れることにする。
これも長年やりたいと思っていたこと。
もちろん前日のN君の話に触発されたことは否めない。

そうして今日のお昼、品川まで出かけた。
駅からすぐ近くの、でも入口の分かりにくい雑居ビルに、その病院はある。

美容外科や痩身中心のエステというのは、その性質上、大概少し分かりづらい場所にあるものだ。
悪いことをしているわけじゃないのに、ちょっと後ろめたい気持ちを呼び起こすような雰囲気。

上半身が曇りガラスで隠れるようなデザインの自動ドアを抜け、奥のエレベーターに乗る。
6階が総合受付で、照明は明るいけれど待合室はパーテンションで幾つもの一人用ブースに区切られた独特のつくりをしていた。
人の気配ばかりはするのだけれど、他の患者(?)の顔をほとんど見ることがない。

通された待合ブースには椅子と小さなテーブルがあって、その上に雑誌が3冊置かれてあった。
どれもいわゆるギャル雑誌で「Cawaii!」とか「egg」とか、なんかそういう感じ。
こういう層がよく利用するんだ・・・と妙な発見があった。

この類の雑誌をちゃんと見たことはないので、ある意味興味津々でめくってみる。
私が高校生の頃は「SEVENTEEN」とか読んでいたのだけれど、それに比べると取り上げられているテーマにせよ表現にせよ、随分直接的に感じた。
「なるほど、今ドキのギャルはこういうことに興味があるのか」と、かなり見入ってしまったのだけれど、ほどなく看護士さんが呼びに来てしまったので、名残惜しく雑誌を置いた。

「ピアス穴を開ける位置にこれでしるしをつけてください」と鏡と水性ペンを手渡される。
鏡を見ながら、「普通でいいんだけど」と考えて、でもその「普通」がどんな位置なのかよく分からなくてもう一度ギャル雑誌を手に取り、モデルの耳たぶを観察する。

でも正直、よく分からない。
なぜなら、耳たぶのかたちがみんな違うから。

私の耳は絵に描いたような福耳で、よく人にも指摘される。
そして耳たぶは、大きくて厚い。
触るとぷにぷにと弾力がある。

自分でも滑らかなさわり心地だと思うので、穴を開けるのは少しもったいないような気もしたけれど、でもせっかく大きな耳たぶなのだから、そこに小さなピアスが乗れば、ちょっとかわいらしいんじゃないかと思うのだ。

結局よく分からないので、なんとなくおさまりがよさそうな位置にしるしをつける。
まあ、こんなもんだろう。

たぶんどんな人でもそうだろうけれど、ピアス穴を開けるのを躊躇するとしたらその理由の一つは、単純に「耳に穴開けるなんて痛そう」という感覚に違いない。
もちろん私にもそんな不安があり、未知のものには恐怖を感じる。

たとえば、映画「真珠の耳飾りの少女」において、画家フェルメールが雇い人の少女の耳に穴を開け、耳飾りをつけてやるシーンがあり、耳たぶにアルコールを吹きかけて、ぐぐぐと針を押し込むその様は、画面の中のことなのにこちらもしかめっ面になるように痛そうなのだ。
あの、少女の不安げな表情。

考えてみれば、衛生的にも問題があった時代には、ピアス穴を開けることさえ、傷口から雑菌が入って化膿したり、破傷風になりうるなど、ひょっとしたら死につながるようなリスクを抱えている。
実際、映画の中では家の目の前の運河に汚水や生ゴミを流すシーンや、伝染病にかかって死人が出るというモチーフが随所にあり、そんなリスクをほのめかすようだ。
そこまでしてピアスをつけたい願望をもつなんて、人間は不思議な生き物だと思う。

もちろん、映画の舞台である17世紀のオランダのように、針を指で差し込むような穴の開け方は今や一般的ではない。
引き金を引くようにして穴を開けつつピアスがそのまま留まる、銃のような形状のピアサーを使い、それは一瞬の出来事だ。

不安を抱きつつ診察室の椅子に座ると、先生がおもむろに黒いピアサーを手に持ち、ほんのちょっと耳たぶを消毒したかと思うと「はい、ちょっとチクッとしますよー」とだけ言って、ビシッという音とともに引き金を引く。
耳に鈍い衝撃が走るけれど、本当に、確かに、それは一瞬。

痛みはしばらくの間、じんじんじんと続くけれど、耐え難いものではない。
両耳のピアス、診察室にいた時間はわずか2分ほどだと思う。

あっという間に、「ピアスを開けている私」が完成。

そう、ピアスを開けたというより、「ピアスを開けていない私」が「ピアスを開けている私」になるように電子レンジがチンと言った、まあそんな感じの経験だった。

そして今夜の私。
耳にピアス。

些細なことだけれど、ほんのちょっと、世界がまた違うものになった。




真珠の耳飾りの少女 GIRL WITH A PEARL EARRING(2002年・英)
監督:ピーター・ウェーバー
出演:スカーレット・ヨハンソン、コリン・ファース、トム・ウィルキンソン
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by yukotto1 | 2005-10-30 02:27 | アートな映画