生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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クイズ王子-ピーター・パン-

あと2日ばかりで退社しようとしているこの会社に入ってよかったことはいくつもあるが、その中でも相当の上位に位置づけられるのが、「クイズ王子との出会い」だ。
こんなに偉大な人物と同じ会社で働くことになろうとは、予想だにしていなかった。

私が2歳だった1977年、日本テレビ系列でスタートした「アメリカ横断ウルトラクイズ」はこれを見ないで年を越せないという4週連続の秋のスペシャル番組として、1992年まで16年間に渡り毎年放送された偉大な番組である。
ご記憶の方も多いだろうが、東京ドームでの○×クイズ予選、成田空港でのジャンケン三本勝負、機内でのペーパーテスト、グアムの泥んこクイズ、モハベ砂漠のばらまきクイズ・・・と、定番となる独自の名物クイズを勝ち抜けながら、広大な北米大陸を横断していく視聴者参加番組で、2万人を超える参加者のうち、たった二人がニューヨーク頂上決戦にまでたどり着く。



「好きなテレビ番組は?」とたずねられたら、例外なく私は「ウルトラクイズ」と答えていた。
「勉強しなさい!」と親に叱られて、テレビの前に座れない日は自分の部屋で勉強するふりをして、ラジカセでテレビ放送を聴くくらいはまっていた。

クイズが好きだったわけではないが、「タダでアメリカに行ける」という単純なテ-マがあれば十分だった。
チェックポイントとなるクイズの一つ一つが日常性を打ち破るゲーム性に満ち、リアルすごろくのようでもあり、ロールプレイングゲームのようでもあり、福袋のようでもある、なんとも言えぬわくわく感が詰まった、それはまさしく「冒険」に思えた。

私はそれに出たかった。
しかし、参加資格が18歳以上だったため、指折り数えて自分がその年齢になる日を待ち続けていたものだ。
ところが、あろうことか、私が18歳になったその年、第17回アメリカ横断ウルトラクイズは開催されなかった。
打ち切りになってしまったのだ。

折りしも、日本のバブル経済はその前年見事に崩壊していた。

打ち切りになった理由については諸説あるものの、そのどれ一つとして納得ができない。
あの番組に憧れ、必ず出たい、そのためだけに早く大人になりたいとさえ思っていた少年少女の夢が18歳になった途端取り上げられてしまったとなっては、巷にピーターパン症候群を増殖させる一因となったに違いない。
実に無念である。

その後、1998年に一度だけ、日本テレビが開局45周年記念でウルトラクイズを再現したが、その際の予選参加者数は実に5万人を超えていた。
私のようにウルトラに恋焦がれて大人になりきれないピーターパンのような少年少女に、再び「大人になる」希望と決心を与えた貴重な機会であったと思われる。
しかし、当時私は就職活動とアルバイトにいっぱいいっぱいでテレビをほとんど見ておらず、このウルトラクイズ復活の予告すら知らず、そのためそれに立ち会えなかったことが一生の不覚、癒されぬ傷となっている。
私がいまだに大人になりきれないのは、この千載一遇の機会を逸してしまったせいかもしれない。

このように、私はウルトラクイズが大好きだった。
特に、バブル真っ只中に放送された1991年第15回大会は印象深い。

この年、優勝した能勢さんという人の名前も顔もありありと憶えているし、途中で散っていった敗者の面々のこともよく憶えている。
ウルトラクイズの面白いところは、視聴者参加型クイズ番組にも関わらず、徐々に人数が絞られていく出場者たちの個性が熱く、面白く、ドラマチックに描かれており、ドキュメンタリーに近い味わいがあるところだ。
放送が進むにつれてファンになってしまうような個性的な挑戦者がいて、見る側もその人が勝ち進むことを望み、応援するようになる。
おきに入りの挑戦者が複数いると、クイズの度に彼らと同じように心つぶし、馴染みの顔が消えていくと戦友を失ったようにがっかりしたりもするのだ。

で、この第15回大会。
上位8人まで勝ち残ったツワモノが、うちの会社にいる。

私が入社してまだ2ヶ月くらいのときに本人の口から聞いて、私は耳をうたがい、そして驚嘆の声をあげた。
「あなたが、あなたが、あの背後霊Iさんですか!」

「背後霊」というのは、放送中、福澤朗アナウンサーがIさんにつけたニックネームだった。
Iさんはクイズに挑戦するときにはいつも、同じ大学のクイズ研究会の敗者達の顔写真をいくつも背中に掲げるコスチュームをつけていた。
本人の話によると、これは「どうやって目立つか。どんなキャラクター設定でいくか」という彼らなりの演出だったらしく、まさにその狙い通りの展開が番組で繰り広げられたことになる。
16歳だったウルトラファンの私が、14年経った今でもはっきりと「背後霊」というキャラクターを憶えていて、エルパソの大声クイズでIさんが「背後霊のおかげです!」と絶叫していたのを忘れられずにいるのだ。
ものすごいセルフプロデュースである。

今回、会社を去る私は、Iさんに拝み倒し、「第15回アメリカ横断ウルトラクイズ」のビデオを貸してもらうことにした。
ここ数日、ずっとそれを見ている。
全4週分。
もちろん東京ドームに始まり、ニューヨークに終わる。

1991年当時、画面に映る人々はみんな古臭い髪型だ。
女性は前髪を中途半端に立ち上げた「東京ラブストーリー」的ロングヘア。
男性はセンターパートのいわゆる「吉田栄作」スタイルである。

時代を感じる。
日本人女性はバブル崩壊以降、確実に化粧がうまくなったと思う。

自分でも本当に驚いたが、相当憶えている。
放送される一つ一つのシーンが、「あー、こういうのあったなー!」と思う。
特に回を追うごとに記憶は鮮明になり、挑戦者の数が10人前後になってくると、個人名をかなり憶えている。

ジャストミート田中とか、ビンボー平本とか、ホフク前進松原とか、安芸の島関が好きな女性、ウルトラの父、ウルトラの母・・・あー、懐かしい。
本当にこの第15回は印象深い人が多かった。

そしてもちろん、そこにIさんがいる。
Iさんは毎回背後霊をしょって、ニューオーリンズでの上位8人まで残っている。
オリンピックならファイナリスト、入賞者である。
あの、知力・体力・時の運の全てが試される偉大なるウルトラクイズの。

Iさん、当時は若干22歳。
番組が放送されて人気者になり、ファンレターまで届いたのだそうだ。
優勝者がクイズ王なら、Iさんはクイズ王子。
紛れもない、ウルトラ王子。

ウルトラクイズではグアム以降の本選で負けると、過酷な罰ゲームを受けなければならない。
Iさんの罰ゲームは、口の中でカクテルを作り、頭ごとバーテンにシェイクされるというものだったが、私はこのシーンもよく憶えていた。

この人がIさんで、あのIさんがこの人。
私が出たくて出たくてしようがなかったウルトラクイズで、数々の雄姿を見せてくれた人。
ビデオを見ながら、「はー」となかなか人には理解されないうなづきをしてしみじみとしてしまう。

ものすごく感激して、先日送別会でこの話をしたら、その席にいたHさんがさらに衝撃の言葉を発した。

「あ、実は僕もね、クイズ出たんだよ」
「え?」
「僕ね、アタック25で21枚とったの」
「ええっ?!」

この会社はどれほどの人材の宝庫なのだろう。
アタック25で21枚って、それ、ほとんど全部じゃん。

「じゃあ、当然パリには行ったんですよね?」
「まあね」

アタック25は日曜の昼にやっている長寿クイズ番組で、昔から児玉清が司会をし、毎週優勝者は自分が獲得したパネルの数だけめくられた画面のヒントを見て人物名を当てるクイズに正解すればパリ旅行に行ける。
この番組、ウルトラクイズ優勝者の能勢さんも出場したが優勝はしていないらしい。
ある意味で、能勢さん以上。ある意味で、クイズ王。

「アタックチャァンスですか?アタックチャァンスですか?」
と児玉清がやるようにコブシを下ろしながらグッと握るジェスチャーをしつつ、謎の感嘆を上げる私に余裕の表情で微笑みかけるクイズ王。

自分が卒業せんとする会社の偉大さを改めて思い知らされると同時に、誇らしきクイズ王たちに共通した楽観系のエンジョイライフを少し目を細めてみる思いがした。
もしかしたら、彼らこそ、隠れピーターパンかもしれない。


ピーター・パン Peter Pan(2003年・米)
監督:P.J.ホーガン
出演:ジェレミー・サンプター、ジェイソン・アイザックス、オリヴィア・ウィリアムズ他
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by yukotto1 | 2006-01-30 18:20 | ハッピーになる映画