生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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おわりのしきたり-ハッピー・フューネラル-

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photo by hikaru

私の祖父は、父方も母方も既に他界している。
母方の祖父が死んだのは、3年前のことだ。

多くの死がそうであるように、彼の死もまた突然だった。
彼は極めて健康だったが、ある冷たい冬の夜、村の寄り合いで好物の酒を飲み、酔っ払って単車を走らせたら、一人で転んで田んぼの溝にはまって死んだ。
夜が更けても帰ってこないので心配されたが、朝になって既に死んでいるのが発見された。



ほとんど外傷がなかったそうで、事故に遭って打ちどころが悪かったのか、心臓発作が起きたから事故になってしまったのか、あるいは転んだまま眠ってしまい凍死したのか、本当のところはよく分からない。
母や叔父が真相を知っているのかどうかも定かでないが、いずれにしても、あまり死因に対してみんな関心を寄せなかった。

他殺や自殺ではまずなさそうだし、事故か病気か、偶然の何かか、神様の思し召しのように祖父は旅立ったのだということだけが、私たち皆の認識だった。
大好きなお酒をたらふく飲んで死んだのだから、まんざらでもないと思う。
死の直前は恐怖や痛みもあったかもしれないが、それでも幸せな方だったと思うのだ。
殊に、祖母はその12年前に病気で死んでいるから、後を引くような不憫さを誰かに与えるような死でもなかった。

死は、誰にでも訪れるのだし、またどちらかと言えば突然であるほうがいい。
死ぬことより、死に怯えて生きることのほうが、もっとずっと辛いことだ。

祖父が死んだとき、私は名古屋で働いていて、会社を忌引して母の実家がある香川まで赴いた。
名古屋から香川というのは実に中途半端な距離で、飛行機で行くか、新幹線で行くかと迷う。
飛行機の本数や空港からの道のりを思えば、結局新幹線で行くのが良さそうだということになり、また弟たちと叔母の乗った車が姫路駅で拾ってくれるというので、それに便乗することにした。

母の実家は、弘法大師が干ばつ対策のために作ったという満濃池からほど近い。
讃岐盆地の真ん中で、とんでもない田舎にある。
こういう場所で育った母が、ああいう人物に成長したのは、なるほどとうなづくのどかな土地柄だ。

瀬戸大橋を渡りきり、やがて陽も暮れ落ちた山道を行く。
街灯もなくひっそりとして、恐ろしいほどの暗闇の峠。
子どもの頃からそうだったが、今でも、その場所を通るときには落武者か戦死者の霊が出そうなイメージがよぎる。
弟が運転する車が短いトンネルを抜けると、少し開けた集落に出た。

道幅が広がったり、用水路が整備されたりと、ほんの少しずつ変化しているが、大方の景観は幼い頃から慣れ親しんだものだ。
遮るものがほとんどないので、少し小高い場所から見渡しきれるほどの集落の中に、母の生家を見つけることはたやすい。
その日は、白と黒の縞々の幕が家のぐるりを巻いていたので、余計に目立って尚更すぐに分かった。

通夜に行く途上だけれど、車中は特段暗い雰囲気でもなかった。

「酔って単車でこけて死んだやなんて、おじいちゃんらしいと思うわ」
「そやろ?ほんまそう思うわ」

祖父のことは好きだし、思い出もたくさんある。
あのニヤニヤとした笑い方は、うちの母親にもはや生き写しだ。
そんな笑顔を頭に浮かべたら、祖父の弔いに関してもむしろ笑わないではいられない。

中国では喜葬という考え方があるようだ。
70歳を超えた人の死は大往生だから、悲しむべきでなく喜ぶべきだと。
そんなテーマを描いた「ハッピー・フューネラル」という映画もある。
西洋人の偉大な映画監督が「ラスト・エンペラー」の続編を撮影中に北京で突然死するが、その遺言であった「幸せなお葬式」を残された者が開こうとする風刺の効いたコメディだ。

確かに、「いい人生だったね」と言えるような死なら、それは決して悲しいものではないと思う。
もちろん別れは寂しいものだが、人間はいつか死ぬのだ。
年寄りが死ぬのなんてまして、ごくごく自然なことだ。
私たちは離れて暮らしていて滅多に会わないのだから、祖父が現実として生きているか死んでいるかということは、それほど重要なことじゃない。

祖父に逢いたくなったら、目を閉じればいい。
ただそれだけでいい。

それでも、沈痛な表情の人々がおしかけた家の脇に車をとめ、降り立って玄関に向かうときには、一様に私たちも無表情を作る。
読むほどの手間もない空気に順応できるくらいには大人になった。

遠路はるばるから訪れた私たちを、見覚えがありそうでなさそうな割烹着姿の女性たちが讃岐訛りで迎え入れた。
「さあさあ、はよ上がってつか。じいちゃんの顔、見たってつか」
そう言って、座敷の真ん中に横たわらされた白装束の祖父のもとへと私たちの背中を促す。

布団の脇には、額に皺を寄らせた叔父と、すっかり意気消沈した母の姿があった。
私たちの到着を確認すると、叔父は「遠くからありがとな」と皺を寄せたまま繰り返し頭を下げた。
母はか細い声で「ああ」と、視線だけ送った。
叔父と母にとっては、祖父は父親である。
鼻の穴にガーゼが詰まった祖父の亡骸は、イメージしていたよりずっと小さかった。

通夜の家の中では、見知らぬ人々が甲斐甲斐しく動き回っていた。
彼らは親戚ではない。
葬儀屋でもない。

この土地にはいまだに五人組制度が残っていて、組の誰かの家に不幸があると、他の者たちがその手助けをし、通夜や葬儀の一切の弔いを彼らが行う。
さらに、葬儀が終わるまで遺族は家事をしてはならないという慣わしもあり、その間、炊事から掃除、風呂の支度に至るまで全て近所の人がやってくれるのだ。

この手順というのが、頑ななほどに長く守り通されてきた律儀な流れのうちにある。
全てのことが淀みないしきたりにより、整然と進むのだ。

たとえば、通夜や葬儀の前に振舞われる食事。
なます。
薄揚げの煮つけ。
豆腐と大根、人参のすまし汁。

みりんの効いた甘すぎるほどの味つけが特徴的だが、三食全て同じ献立で、そのレシピが既に何十年、何百年という伝統なのだ。
どこかにマニュアルがあるわけではないだろう、誰かの葬儀の度に助け合ってきた慣習の中で、近隣に住む女性たちが脈々と守ってきた。

5分以上歩いて隣家まで行き、その家の座敷に置かれた長机で順次食事をする。
玄関には黒い靴が所狭しと並んでいる。
好む人には酒が出る。

取り囲む白い花。
棺に打ちつけられる釘。

細かいルールが決められている。
それに習って、故人を弔い、故人を偲ぶ。
人間の手によって人間が、心をこめてしつらえる儀式。
豪奢なものや奇をてらったものはないが、ただただ丁寧で美しい。

忠実なピアノ演奏のようだ。
白と黒の鍵盤をストイックに叩く指。
感情をぶつけるのでなく、譜面に感情をのせる。

確かに何らか仏教的意義のあるルールばかりだろうけれど、それは、宗教というのとは違う気がした。
人の生活に根づき息づく、伝統や文化や、営みそのもの、生命そのもの。

祖父は歴史に見送られていくのだ。
これほどに、神聖で美しい最期が他にあるだろうか。
日本人はこうやって、誇り高い瞬間を迎えてきたのだ。

祖父は、本当に幸せだと思った。
ここに生涯が終わるのだと思った。

それは粉雪が天に上るように舞う日だった。
そろりそろりと歩みを踏み出すように、慎重で厳格なしきたりの上に、悠久の世界が見える気がした。


ハッピー・フューネラル Big Shot's Funeral(2000年・中/米)
監督:ファン・シャオガン
出演:ドナルド・サザーランド、ロサムンド・クァン、グォ・ヨウ他
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by yukotto1 | 2006-02-26 23:34 | 笑える映画