生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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江戸の春-真夜中の弥次さん喜多さん-

朝から私は、なぜこの数日、体重の減少がぴたりと止まったかについて考えていた。
正確に言うなら、夕食の前に測ると記録を更新するように毎日減っている体重が、朝の測定となると前日と同じか、場合によっては増えている理由だ。

ジムでのトレーニングは一日置きの早朝なので、体重が全然減っていないのを見て、バイオメトリクスのコーチは「どうしました?」と訊く。
レシピどおりに毎日自炊をし、トレーニングも精一杯の力を出している。
水も毎日2リットル欠かしていない。
なのに朝の測定時ばかりは体重が減っていない事実に、私は説明の術を持たない。



確かに朝食後1時間程した時点で行われる測定結果と、毎晩空腹な夕食前の測定結果では違いが出ることは当然かもしれない。
けれど、その差が1kg近くあり、しかも片や増えて片や日に日に減っているというのが不可解なのだ。

今日も早朝トレーニング時の測定結果に満足できなかった。
だって、昨日の夕食前、自宅で測ったときには、この3年間で一度も達したことのないレベルまで体重が落ちていて、とても嬉しくなったばかりだったのだ。

そんなわけで、私は不可解さに頭をひねった。
自分の体のことなのに、思うようにいかないのは奇妙なものだ。

カロリー摂取を抑えるため、最近は会社の近くでお弁当を買うランチが続いていたが、今日は考えごとをしたいのでどこかゆっくりできるお店で食事をしようと思い、正午を少し回って上着をはおった。

オフィスを出ると、今年何番目かの南風が激しい勢いで吹きつけている。
陽射しは紛れもなく春のそれ。
空の色は刷毛で塗ったように均一なブルー。

今日の風は東西線の運行を全面的に止めてしまうくらい強いので困ったものだが、それでも気持ちのよい季節が巡ってきたのだと思うと心が弾む。
こうやって季節の変遷に喜ぶ繰り返しの果てに、人はすっかり老いた自分に気づくのだろうが、畏れを知らぬ死への前進を、鼻の頭をくすぐる生命の匂いがやわらかいナイフのごとくカモフラージュする。

それは神様のやさしさだろうか。

本日の東証の機嫌はいかがだろう、茅場町の春。
今はまだ裸の枝だが、やがて咲く川沿いの桜は美しいと聞いた。

気分的なものかもしれないが、この辺りは江戸の香りがする。
整然とした碁盤の街並み。

歩いてすぐの八丁堀は、かつての奉行町。
時代劇では役人のことを「八丁堀の旦那」と呼んだりもする。
仕事人の中村主水がそう呼ばれるのを聞いたことがあるはずだ。

はたまた、程近い日本橋は、東海道の発端である。
「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんは、ここを起点にはるばる京の都へと旅立った。

昨年ちょうどこの季節公開された「真夜中の弥次さん喜多さん」は、エキセントリックな出来映え。
「リアル」を求めて旅に出る。

読み物とすれば文語調、古文と聞けば頭痛もするが、当時で言えば、この作品くらいにははじけた娯楽であっただろう。
指を折っても開いても、人の雅はそう変わらない。

桜の季節が近づくとなぜか、年を数えたくなる。
数えた年は過去にも未来にも向かうが、どの時代でも同じ桜が咲いているような気がする。
私がそこにいても、いなくても、同じ桜が咲いている気がする。

ランチの途中ではたと思い出し、携帯でWBCの結果を確認する。
メキシコがアメリカに勝って、日本が準決勝に進むらしい。

なにかがふうと軽くなった。
体重に変化はないかもしれないが、心に重さがあるとすれば、春風が湿気を乾かして軽くなるのかもしれない。
昨晩の激しい雨ではじっとり湿ったか。

江戸の春のイメージは、瓦屋根の先に仰ぐ頭上遥かな鳶が運ぶ。
もう決して奪われることがないように、風船の紐を指に結ぶ。
心を固く、結びつける。



真夜中の弥次さん喜多さん(2005年・日)
監督:宮藤官九郎
出演:長瀬智也、中村七之助、小池栄子他
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by yukotto1 | 2006-03-18 00:18 | ノリノリの映画