生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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ENJOY FOOTBALL!-ベッカムに恋して-

今週末からサッカーW杯が始まる。
私はサッカー音痴なので詳しいことはよく分からない。
日本代表の名前も半分くらいしか知らないし、外国選手となれば尚のことだ。

それでも4年前、日韓共同開催の前大会に関しては、さすがの私もお祭り騒ぎに巻き込まれた。
今思い出しても、あれは日本中、異常なほどの盛り上がりだったと思う。

当時私が勤めていた会社は国内有数の巨大企業だったが、日本の決勝トーナメント進出を決定づけるチュニジア戦が開催された日、「今日は15時で帰ってよい」という副社長の社内放送が流れて、そのクレイジーさに私は心底驚いた。
いや、もちろん、感激すべきクレイジーだ。



まだ日の高いうちに帰路に着き、最寄り駅から自宅までの道すがら、家々から聴こえた「わー」とか「うぉー」とかいう歓声。
みんながみんな観ているんだ、と思うと高揚感が増した。
日本人が皆一致して、同じように画面を凝視してこぶしを作っている。
少なくとも30年足らずの人生の中で、オリンピックをしても日本シリーズをしても、それほどの一体感をおぼえる経験は他になかった。

仮に似たようなものがあるとすれば、幼い頃「8時だよ!全員集合」を観ていたときの、生放送の緊張感みたいなもの、ブラウン管の先に「私と似た誰か」の気配を窺い知る感覚。
スケールが随分違うと言われかねないが、80年代初頭の日本の空気というのは、観客のいる舞台で繰り広げられる生放送高視聴率番組というものさえがそういう一体感を匂わせる、まだそんな時代だった気がするのだ。
単位は個人じゃなく家族であり国民だった、その方がむしろ自然だった、そんな時代。
だからだろうか、私は家族で一つのテレビを囲み、居間の窓を開けて隣のうちでも同じようにテレビを囲んでいる声が聴こえる気がするだけで、とてもとても幸せだった。
みんなみんなに抱かれているような、幸せな安心感があった。

ロシア戦は確か日曜日だったので、その頃仲良くしていた友人たちを私の部屋に招いて、みんなでサッカーを観ようと計画した。
7人くらい集まったと思う。
私は昼過ぎから仕込をして、全員がおなかいっぱいになるだけの、そして招いた人数と同じ種類数の料理を準備した。
私のキッチンにあったのは2口のIHヒーターだけで、グリルも電子レンジさえなかったので、食材を無駄にせず調理を手際よく進めるためには、献立とフローを考えるだけで3日くらい頭をひねった。
実際、私はコンロ1、コンロ2、調理台各々の工程表まで作ったのだ。

当時私は、時折そういうホームパーティを開いたが、いつも料理に関してははてしなく自己満足の世界だった。
パーティそのものよりも、綿密な計画とその達成へ向けて着実にこなしていくチェックポイント、タイムレースのようなスリル、そういったものを自己完結的に楽しんでいるのだ。

だから、皆が私の料理などそっちのけでサッカーに大盛り上がりを示していても、そんなことはお構いなしだった。
むしろ、白黒模様のボールの行方に一々あがる歓声は、私のクッキングリズムさえも盛り立てた。

6月の日曜日、ベランダの開け放した窓から心地よい夜風が入ってきていたし、隣の部屋からも階下の部屋からも私たちと同じような声があがっていた。
ホイッスルやタンバリンのシャラシャラいう音も響いていた。
日本に分が悪いという前評判だったが、幾重に重なる歓声にサムライブルーが大いに応えたのか、その試合は強烈な熱を帯び、そして遂に日本が勝利を収めた。

奇跡的な勝利に部屋は沸き、私はその空気が心地よいと思った。
「仲間」と言うに近い友人たちが集まっていることが楽しくて、絶え間なく料理を作りながら時折テレビに目をやる「案配」が楽しくて、サッカーは楽しいと思った。
実はルールがまだ完全に分かっていないけれど、でもサッカーは楽しいと思った。

サッカーをテーマにした映画は、近年ちょこちょこ増えている気がする。
イギリス映画「ベッカムに恋して」は、あるインド系少女が、「女の子なのに」とか「インド人社会の伝統」だとか、そういった周囲の反対と戦いながら、ただただ大好きなサッカーに青春を賭ける物語だ。

女の子のサッカー、しかもインド系イギリス人というマイノリティに焦点をあてたところが面白い。
「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング」がギリシア系アメリカ人の家庭のあれやこれやを描いたのを思い出すが、こちらもアングロ・サクソン社会で自らのルーツを守らんとする家族たち、そこに歯がゆさを感じる若い世代の主人公という構図。
決してシリアスになりすぎるわけでなく、あくまでもユーモラスに、あたたかい視線で紡がれている。

主人公ジェスが憧れていた選手こそが、デイヴィット・ベッカム。
彼女の夢はベッカムと同じピッチに立ち、彼をアシストするサッカー選手になること。

不思議だと思ったのは、伝統や人種は大きな壁だと感じているのに、女の子がベッカムと同じチームでプレーするという夢や、まして自分が世界に通じるプレイヤーになれるかどうかについては、ジェスは一切悲観していないことだ。
それがまだ、ただの無邪気な夢だから、壁にぶち当たるような段階にさえないということかもしれないが、だとしたら、この物語の先に彼女はさらに大きな困難に遭うことになるだろう。

夢の前には、どんなときも困難がそびえるものだし、そして実際にそれを越えられるかどうかよりも「越えられないかもしれない」という迷いが跳躍を阻むことの方が多い。
ためらったが最後、途端に跳び箱が跳べなくなるみたいな。

そういう意味では、今週末に始まる世界大会は、数々の跳び箱を越えてきた人々の「夢の舞台」だ。
私たちの胸もそれを待ち構えている。



ベッカムに恋して Bend It Like Beckham(2002年・英)
監督:グリンダ・チャーダ
出演:パーミンダ・ナーグラ、キーラ・ナイトレイ、ジョナサン・リース・マイヤーズ他
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by yukotto1 | 2006-06-06 21:25 | ハッピーになる映画