生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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命の本分-皇帝ペンギン-

時々思うのだが、人間も生物であるならば、その本分はやはり命をつなぐことなのか、と。
いや、そもそも「本分」などという発想が非自然な不純物なのかもしれないが。

人の寿命はかつて、30歳そこそこだった。
それなりに文化的な生活を送るようになった後でさえ、人生は50年ほどが通常で、現在の日本のように平均寿命が80歳を超えるケースは歴史的にも地理的にもごく限られている。
もしも医療も薬もなく、自給自足だけに生きていれば、人間の寿命は未だに30年でもおかしくない。

それは、30年もあれば、人間が生物として命をつなぐのには十分だということを意味している。
15歳から25歳くらいまでの間に5人ほど出産して、30歳になったときには最初の子がもう親になれる年齢に近づいている。
そうなれば、もう生物としての役目はお終いだ。



実際、80年代まで日本では30歳以上での出産を高齢出産と呼び、「規定外のケース」と位置づけていた。(現在は35歳以上)
人間の生殖機能は30歳までに使うべきが本来というわけである。

だとすれば、30歳を過ぎたら、もう後は、「余生」として死を待つだけのタームに入る。
そう言っても生物学的にはきっと大げさではない。

私はそんなことを度々考える。
今年31歳になった私は、既に「余生」をスタートさせたようなものなのだと。

ある休日、「皇帝ペンギン」という映画を観た。
南極大陸に棲む、体長130cmほどあるペンギンとして最大種、彼らの命の育みを追ったドキュメンタリー作品だ。

絵かと思うほど美しい。
同じ地球上に、あんな場所があって、あんなふうに神聖な営みが存在しているということを、嘘みたいに感じる。

あの場所が嘘なのか。
この私が嘘なのか。

皇帝ペンギンは、毎年冬が近づく季節に海から上がり、律儀に一列を成して行進を始める。
何日も、何夜も歩いて、約束の地に向かう。
それは、見渡す限りがドームのような空と氷の世界。

美しい詩。
美しい物語。

海には食糧があるが、同時に天敵の危険もある。
生命を育てるのにふさわしい場所ではない。
だから、彼らは毎冬、大陸の最も安全な場所に集まって、そこで繁殖のパートナーを見つけ出し、愛を交わして生命を生み落とす。
さらには卵が孵化し、ヒナが自力で氷の上に踏み出せる春まで、ただじっと吹雪の中で耐え忍ぶ。

その「最も安全な場所」は、南極のあらゆる海から上がったペンギンたちが一斉に目指す、決まった場所。
誰に教えられなくとも、毎年、ほとんど同じ日の同じ時間、同じ場所にペンギンたちは集うことができる。

命の本分を、果たすため。

皇帝ペンギンは、声で個体を識別する。
パートナーのことも、自らが分身として誕生させたヒナのことも、声によって知ることができる。

雌が産んだ卵を雄が腹の下であたためている間に、雌は海へ戻って食糧で胃を満たした後還ってくるが、彼女はそのとき自分の夫と赤ん坊を適確に見つけ出すのだ。
大勢群れたペンギンたちのなかで、確かに愛する者を見つけ出す。
そうして、その頃、孵ったヒナに自らの胃の中の流動食を分け与え、夫に代わって今度は自分がヒナをあたためる。

夫は、それから間もなく海への旅に出て、自らの命とヒナの命を紡ぐ食糧を求める。
彼が戻る頃には、ヒナは一人立ちを始めている。
多くの場合、妻は再び海に戻ってしまっているので、夫婦が顔を合わせることはもう来年の繁殖期までない。

生命の本分は、生命をつなぐこと。

生きている時間のほとんどは、自分のためではなく次代のためにあり、次代もまた自分のためでなく次々代のために生きる。
ほとんど途方もない話だが、本来、生命とはそういうものなのだ。

なんのために、どうして、なぜ、生きているのかなどという問いは、愚かな種の発想なのだろう。

現代日本では「余生」が長い。
平均でも、それから50年近く人生は続く。

寿命が長くなるにつれ、人は決断を先延ばしにする術を身に付けた。
本来は余生であるはずの時期に本分を先延ばしにし、場合によっては本分を生涯果たすこともない。
知恵をつければつけるほど、人間は自然から遠のく。

そうして、そもそも余生にしか過ぎないものを、どう過ごせばいいのかと悩む。
生きているだけで、もう既におまけのような、儲けもののような、そんな人生に勝利や敗北を感じてどうしようというのだろう。

もちろん自分も含めて、自由を求めた結果に囚われてしまった人の業を感じないでいられない。
もう今さらに野生に帰ることはできないけれど、それでもどこまでいったとしても、人は所詮自然の一部にあることを、ふと振り返れば、多くのことが取るに足らないものだと笑えてくる。

つがいのペンギンが愛を交わす姿は、切ないほどに美しい。
そのダンスは、エロティックなほどで胸が騒ぐ。

愛や恋を知るのが、人間だけだとなぜ言えるだろう。
たとえそれが、「本分」なのだとしても、命は愛のもとに生まれてくる。
礼讃のもとに、生まれる。

オーロラに抱かれ、ただ美しい詩を聴き、まだるっこしい思索を脱ぎ捨てた後に、未知なるものの懐かしさに涙こぼれ、ただぼんやりと笑えてくる。



皇帝ペンギン MARCH OF THE PENGUINS(2005年・仏)
監督:リュック・ジャケ
声の出演:ロマーヌ・ボーランジェ、シャルル・ベルリング、ジュール・シトリュック
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by yukotto1 | 2006-07-18 00:36 | ぐっとくる映画