生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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空の顔-ため息つかせて-

友人が新居に越したお祝いにと、三連休の中日に八丁堀まで出かけた。
「地図が読めない」私には、位置関係が定かでないけれど、たぶん私の会社からも近い。

新宿で買物があったついでにデパ地下でおもたせを買い、地下鉄に乗ろうとしたとき着信があった。
おとといの晩は他の用があるから行かないって言っていたのに、どうやら彼も行くことにしたらしい。
「ちょっとだけ顔を出すことにした」

あら、そう。だったら早くそう言ってくれればいいのに。
地図が読めない上に地図を忘れてきてしまった、救いようがない私は、ちょうど困り果てていた。
とりあえず一緒に行こうよ、ていうか目的地まで連れてって、というわけで、銀座で落ち合いワインを買ってからタクシーをつかまえた。
彼は先月、その友人宅にいち早くお邪魔していたのだ。



マンションの11階。
エレベーターを降りるとすぐ玄関のドアがあり、1フロアに1部屋しかない造り。
ドアの脇に置かれたイーゼル付の黒板、丁寧に「○○'s house」、「本日のmenu」まで記されていて、まるで隠れ家系レストランに訪れたようにうきうきとする。

インターフォンを押して迎え入れられたのは、タイル張りのテラスに続く大きなガラス窓からまだ高い陽射しが入りこむ明るい部屋。
噂の大型プラズマテレビを配されたリビングで、既に4-5人の友人が寛ぎ、半アイランド型のキッチンでホストが手際よく動く。
テーブルの上には手料理が並んで、いい具合の休日の午後が出来上がっていた。

その部屋はメゾネットになっていて、壁沿いの階段を上ぼれば、背の低いリラックスチェアと接続作業中のオーディオセットが片隅に置かれただけの、十分な広さのスペースがある。

南に臨む壁は下階と同じように、ここも全面がガラス窓。
窓の上半分はハンドルを回して押すと外側に開き、開放感を部屋に満たす入り口となる。

「ここから花火が見えるかもね」
ちょうど南側には特別高い建物がないので、紅に染まり始めた空をビル群が縁取る様が実にいい眺めだ。

ここに居て椅子に寝そべり、午後が夕べになり、陽が落ちて夜が来るまでの空の顔を、ずっとただガラス越しに眺めて過ごしたら、どんなに気持ちいいだろうと想像した。

「ため息つかせて」という映画で、金持ちの夫と離婚訴訟中の女性が、ある午後、幼い娘と一緒に買物から帰宅し、豪邸に貼られたガラスの天井を見呆けるシーンがある。
夕立があって、そのガラスを雨が打つのだ。
ぽつぽつぽつ、と始まって、そのうち激しく雨が打つ。

そこで娘が「空が泣いているよ」、いや「神様が泣いているよ」だったか、もう正しい記憶はなくしてしまったけれど、雨を涙と模した無邪気な言葉を投げる。
もう随分前に観た作品なので、私はこの映画でたった一つ、このシーンしか憶えていない。
けれど不思議なことに、すごくいい映画だったということは憶えている。
筋書きは忘れても、観たときの気持ちは憶えている。

ガラスにこぼれる涙。
やがて号泣となる涙。

友人の新しい部屋の素晴らしいところは、空の顔がいつも見えること。
大きな窓が、いつもそれを教えてくれること。

朝には朝の顔、夜には夜の顔。
春も夏も秋も冬も。
一刻として同じでない空の顔が、自分の心と呼応してまた独特の表情を作るように。

多くのものはコントラストでできている。
同じものでさえ、背景によって違うものに見える。

階下に下りて、最近では珍しく過ごしやすい夜風を招き入れるリビングは、次第次第に賑やかさを増していった。


ため息つかせて Waiting to Exhale(1995年・米)
監督:フォレスト・ウィテカー
出演:ホイットニー・ヒューストン、アンジェラ・バセット、ロレッタ・デヴァイン他
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by yukotto1 | 2006-07-18 20:45 | 切ない映画