生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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安堵-モンスター-

友人と会うときは、断然一対一がいい。
その人と私、それぞれには心打ち解けた間柄でも、そういう友人2人といっぺんに、つまり3人で会うとなると、急に私のテンションは変わってしまう。
2人のときの私と、3人のときの私、もっと多くの人たちに囲まれたときの私、全部違うのだ。

意外に思われることもあるのだけれど、私はあまり大人数の集まりが得意じゃない。
やたらと自分の役回りみたいのを考えてしまうし、その中にそれほど親しくない人がいたりすると、妙に自分を譲ってしまう。
団体行動が基本的に苦手なのだ。

一番心地いいと感じるのは、誰かとの一対一の時間。
私は相手の話を聴き、相手は私の話に耳を傾けてくれる。
打ち明け話のように本音を話し、とっておきの秘密を聴く。
実際には秘密でもなんでもないのかもしれないけれど、互いの目を見ながらする話は、他の人のいる場でする話とは明らかに違う、特別な感じがする。

大勢と賑やかに過ごすのも、たまには悪くないけど、それはそれ、これはこれ。
私には、大切な人と個々にゆっくり向き合う時間が必要なのだと、年を重ねるごと強く確認するようになっている。



東銀座で薬膳鍋をつついた。
あっさりとして、繊細な味わいが凝縮されたスープは、病みつきになる味。
漢方が内側から体を温めてくれる感覚は、秋雨の降るその夜の天気にありがたかった。

前の前の会社の同期である彼女とは付き合いも長いけれど、2人きりで会うのは、実は結構久しぶりだった。
別の友人や彼女の旦那さんをまじえて、3人だったり、5~6人のグループで会うことは月に1回くらいあったけれど、2人きりというのは、憶えている限りでは5ヶ月ぶりで、その前はさらに9ヶ月前。
彼女はあまり意識していなかったかもしれないけど、私はようやく得られた2人きりの時間に、とても懐かしい安堵をおぼえていた。

なんだか、とても長いことぶりに、彼女に会った気がした。
溜め込んでいたような気がする伝えたいこと、彼女に訊いてみたいことが少しずつ溢れ出す。
彼女は落ち着いて、また彼女らしく毅然と優しく、それを聴いてくれる。
私が聞かせて欲しかった幾つかの本心にも、やっとたどり着いたような感覚。

だから安堵する。
安堵は、私が私らしくあるための最大の薬。

「GYAOで「モンスター」を観てたんだけど・・・」
「重いよね」
「重すぎて、途中で止めちゃった」

シャーリーズ・セロン主演の「モンスター」は、ある孤独な売春婦がレズビアンの少女に出会って初めて人に愛されるぬくもりを知り、やがて少女のために連続殺人犯に変貌していくという、実話を元にした物語。

男と女でも、女と女でも、友達でも、レズビアンでも、人が人に感じる飢餓感というのは、本質的には出所が同じだ。
もどかしさの中で我を失い、息苦しさの中で相手を失う。

分かっているつもりでも分かっていないことがあるし、分かってくれているつもりでもそうでないこともある。
もともと他人同士なのだから、コミュニケーションはリズムやバランスによってうまくいかないこともある。
取り立てて何かがあったわけでなくても、些細な誤解が一層のすれ違いを生むこともあり、それによって不本意にも距離が遠のくこともある。

それを瞬時に解決する方法なんてどこにもなく、一つ一つのことに丁寧に時間をかけて、安堵や信頼を回復していくしかない。

シャーリーズ演じるアイリーンは、「モンスター」になった。
殺人鬼という鬼である前に、彼女はぬくもりに対する餓鬼だった。

確かに、重すぎて直視できない。
誰もそんな淵には落ちたくないし、それがあまりに異常な物語で、多くの人には全く無縁なものだとしても、それはただ、私たちが幸運なだけだと知っているからだ。

また別の友人は、この映画を観て、「死刑になることよりも、愛する者に裏切られることの方がずっと辛い」と言った。

飢えを癒す安堵。

私は大切な人たちから、それをいつももらっている。
だから、「人」として生きていけるのだと思う。


モンスター Monster(2003年・米/独)
監督:パティ・ジェンキンス
出演:シャーリーズ・セロン、クリスティーナ・リッチ、ブルース・ダーン他
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by yukotto1 | 2006-09-29 20:18 | 考えてしまう映画