生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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観劇とシモキタ-漂う電球-

私が過去に舞台を観た経験は、ほとんど数えるほどしかない。

幼い頃行った宝塚歌劇、中学のとき課外授業で観た「夕鶴」、高校3年の夏に大阪で観た「キャッツ」、6年前に名古屋で観た推理劇(演目名は失念)、シチリアで観たオペラ。

たぶん、ほとんどそれが全て。
素人の発表会みたいな芝居は他にもいくつか観たことがあるけれど、それらにはほとんど何らかの義務やら義理やらが働いていて、自発的に足を運んだわけじゃない。

私はまったくと言っていいほどその世界に疎い。
まず、何を観ればいいのか分からないし、面白いらしいと評判を聞く頃にはその公演は終わっているか、チケットは完売ということばかり。



劇場に足を運び、そのリアルな空気を体験することに舞台演劇の意義の大半があると、その道の人たちは言うし、私もきっとそうなのだと思う。
そしてだからこそ、その世界に疎い人に、敷居が高いと感じさせてしまう。
劇場に行くより前に費やす労力とリスクが大きすぎるのだ。

今回、舞台を観に行ったのは、ものすごく小さな思いつきだった。

たまたま「ぴあ」で見つけたのだ。
ウディ・アレン脚本の芝居をやるらしい、ということ。
知っている名前は岡田義徳と渡辺いっけいだけで、他の出演者は誰も名前を知らなくて、ただ劇場が下北沢の本多劇場だということ。
分かっていたのはそれだけで、話の筋も演出家がかなり有名な人だということも、ましてやそれがどんな種類の感情を刺激する作品なのかなんて分からなかった。

以前から舞台鑑賞そのものに興味があったので、実際に面白いのかどうかというのは特に考えず、思いつきに任せてなんとなく予約したのだ。
プレリザーブで当たればいいなくらいな感覚で、是が非でも当たって欲しいという気持ちはなかった。
前に三谷幸喜脚本の「戸惑いの日曜日」という芝居を予約しようとしたときは、当たらなかったし。

でも、今回は当たった。
だから、ただそれだけの理由で、10月7日の昼、私は下北沢の本多劇場へ赴いて「漂う電球」という名の芝居を観た。

芝居を観に行くという、私にとって珍しい経験は、半分の期待と半分の不安で占められていた。
絶対面白いという保証がないために、誰を誘ったらいいか、少し迷った。

私を時々映画やコンサートや、幾分アートなものに誘ってくれる友人を何人か思い浮かべた。
あるいは、先日、とても素敵なレストランに誘ってくれた友人の顔も思い浮かべた。

以前にも書いたけれど、私は誰かと一緒に映画を観るときには、ある程度相手の好みを考慮して作品を決める。
「ストロベリーショートケイクス」を一緒に観に行くのは、池脇千鶴が好きでミニシアターものを好む、あの人だと思うし、「誰も知らない」を観に行くのは、繊細で深海魚みたいで気持ちのいい孤独さをもった、あの人だと思う。
(ちなみに、「誰も知らない」をご一緒したゲームデザイナーの友人は、某海外メディアのインタビューで好きな映画として「誰も知らない」を挙げてくれていて嬉しかった)

だけど、素人すぎる私にとって、芝居は実際に観てみるまでどんな風なのか全く分からない。
だから映画に誘うみたいにはいかない。

それで、私は芝居というキーワードではなく、下北沢というキーワードでパートナーを決めた。
下北沢に行って喜ぶ人だ。

私にとっても、その友人にとっても、下北沢は特別な場所だった。
それは大学時代、毎日のように通った街なのだ。

私は昔、小田急線の梅が丘という下北沢から二駅のところに住んでいて、大学に通うため、いつも下北沢で乗り換えていた。
講義の後には必ずと言っていいほど下北沢に立ち寄って、独特の狭苦しい路地を徘徊し、チープな雑貨を物色し、至るところにあるカフェで読書をしたり、勉強をしたり、ただぼーっと往来を眺めたりした。
劇場やライブハウスが数多くあるその街には、いかにも貧乏で若いアーティストかぶれがたくさんいて、近場にいくつか大学もあるので、そのせいで何かと物価が安い。
個性的といえば悪くない表現だが、さもお金なんてなさそうな、小汚い格好の若者が多く、ただ一様に背伸びしがちな熱っぽさを帯びていた。

ごちゃごちゃした感じ。
あの雑多さに紛れるのは、実にいい具合だった。
それは、おもちゃ箱の隅っこにいるみたいで、積み重なった人形や模型飛行機やレゴブロックの隙間から漏れる、電球の灯りを見上げるような気分が味わえた。
自分は楡の木でできたピノキオで、がらくたに埋もれながら、人間になる日を夢見ているみたいな。

いずれにしても、それは好きな街。
思い出がたくさんある街。

大学を卒業して8年になるが、その間、ほとんどそこを訪れていない。
社会人の私の活動圏は、山手線の内側に移ったのだ。

路地を歩いて、記憶をたどる。
「ここってGAPじゃなかった?」
「オオゼキなんてなかったよね?前はなんだったっけ?」
「あー、サザンって、もうなくなってるよ」
「ここのサンドイッチ大好きでよく食べに来たなー」
「ドナテロだったとこ、イタトマになってる!」

骨組は同じだけれど、随分大きなリフォームがほどこされた家のようだった。
月日の中で、建物自体には面影をとどめるものの、4割くらいテナントが変わって、そのために思った以上の変化だと感じる。

居心地の良さもある。
他方で既に相容れなくなった感じもする。
共有できるのは、昔話ばかり。

あの頃、前を何度も通りながら、一度も中に入ったことがなかった本多劇場。
それは私の知らない演劇の世界だった。

初めて踏み入れる。
急な階段と、薄暗いホワイエ。

強い傾斜の座席。
天井のライトが作り出す白い煙。

失敗については反省したと言うけれど、悪いことをしたとは反省できないと言う友人。
「自己中心的なのは、悪いことじゃないよ。反省する気持ちがないなら、その方が幸せ。私もそうなれるなら、どんなにいいかと思う」
幕が上がる直前まで、そんな会話をした。

「漂う電球」は暗がりの中に、ぼうっと浮かぶ拳大のオレンジの光から始まった。
自閉症の青年は、手品の練習をする。

噛み合わない家族の物語。
幕が下りたとき、友人は「救いがない」と言った。

一週間もしないうちに、私は次に観る芝居のチケットを買った。


漂う電球
演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
脚本:ウディ・アレン
出 演:岡田義徳・渡辺いっけい・高橋一生 他
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by yukotto1 | 2006-10-13 23:28 | その他