生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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戦後の昔、彼女の人生-ヨコハマメリー-

土曜日は、以前からどうしても観たかった映画を観に出かけた。
その作品は、渋谷の宇多川町にあるアップリンクXという映画館で土日のレイトショーでだけ上映される。

方向音痴の私が、例によって迷いながらたどり着いたのは、マンションの一室と呼ぶのが決して大げさではない場所だった。
「日本一小さな映画館」という雑誌記事の切抜きが、部屋の外の廊下に貼ってあった。
広めのワンルームといった空間に、スクリーンは幅2mほどだろうか、映写機ではなくプロジェクターで映し出す。
視線に段がつくように座面の高さが違う様々なかたちのソファが30ほど並べられた大雑把とも言える空間は、むしろ、あたたかみがある。
映画好きの金持ちの友人宅に来たみたいな感じだ。

そこに足を踏み入れただけで、くすぐったい満足が、みるみると体を満たしていった。
一番乗りだった私は、最も上等に陣取った中央のソファに腰掛ける。
こんな隠れ家にデートなんかで連れてこられちゃったら、私、正直、まいっちゃうな。



その晩の客は私を入れて6人だった。

「ヨコハマ・メリー」というドキュメンタリー映画について知ったのは、偶然のネットサーフの結果だった。
全く別の事柄について調べ物をしていて、その映画について書かれた新聞記事かなにかを見つけたのだ。

真っ白く顔を塗り、目の縁を墨に滲ませた老婆は、どう見ても美しいとは呼べない、むしろ道化かお化けのように見える。
ヒラヒラがいっぱいついた引きずるほどのドレスをまとい、これまたフリル付きの日傘を差し、膨れあがった紙袋を提げた、奇怪な佇まい。
記事に添えられたモノクロームの写真は、物哀しかった。

映画は私と同い年の監督がデジタルカメラで撮影した、まるきりのインディーズ作品ということだった。
横浜生まれ横浜育ちの彼は、土地の人間に「メリーさん」と呼ばれている、あるホームレスの老婆を追った。

メリーさんは紛れもなく実在する人物で、戦後まもなくから1995年まで横浜・伊勢佐木町の街角に立ち続けた娼婦だった。
70歳を裕に超えて尚、彼女は現役の娼婦だったのだ。
もちろん、晩年に商売が成り立っていたとは思えないが、少なくとも彼女は、自らを娼婦とする誇りをもって立っていた。

かつては、駐日米軍の将校専門の稼業だったらしい。
決して兵卒などは相手にしなかった。
金と地位と知性を備えた将校しか相手にしない、気位の高い娼婦なのだ。

戦後の混乱期には、伊勢佐木町のような歓楽街には、そういう娼婦がたくさんいたのだ。
生きていくために、自らの体一つで戦勝国にも立ち挑んだ女たちが。

時代とともに、いつしかそんな女たちも姿を消した。
派手なネオンに紛れて形態を変え、風俗そのものはなくなることがないが、そこに立つ事情は少なくとも、昔とは変わった。

私たちが変わらないと感じるものの多くは、本当は少しずつ姿を変えている。
誰にも気づかれない程度に少しずつ自らを変えることによって時代に紛れ、古臭さを感じさせずに定番になる。
長年繁盛し続ける飲食店の味の守り方なども、まさにそう。

かたくなに昔の姿を守り続けることは、むしろリスクなのだ。
かつては眩かったものが、いつしかみすぼらしく見える。

その上に、まして女だから、老いという時間が全身を覆って通り過ぎ、残されたのは老婆。
不気味なほどの老婆。

映画は、メリーさんがいなくなった後の横浜で、彼女を様々な距離と角度から知っていた人々にインタビューをするかたちで進んでいく。
実在のメリーさんを描くというわけでなく、あくまで彼女を知る人々の認識の中でのメリーさん。
それを通して、横浜の戦後史を辿っていく。

メリーさんは自分自身のことなどしゃべらない。
だから彼女が何者なのかは、噂や人伝え、憶測といったものの中でしか語られない。
真実は不明なままだが、真実を暴くことに目的があるわけでもない。

戦後という、つい先日のはずのことが、夢物語かというほど昔に思える。
当然ながらそれは貧しく、悲惨で、泥と埃とあらゆる負の感情、あらゆるエゴにまみれた時代だった。
今日とその日で何が違うかというと、ただそれが綺麗にオブラートされるようにになっただけかもしれないが、その差は意外なほど大きい。
もちろんそんな時代でも、人は強く朗らかに生きようとしただろうし、それが結実したからこそ、私たちの生活がある。
ただ、私たちは不思議なほどに戦後について知らない。
今日認められている全ての権利と自由は、まるで大昔から保障されていたかのような錯覚をおぼえている。
でもそれは違う。
ほんの数十年前のことだけれど、それは違う。

居心地のよい暗室で、比較的寡黙なスクリーンを見ていた。
終始、私はぐっと来っぱなしだった。

映画の終わりに、白塗りの化粧を落とした、現実のメリーさんが登場する。
もうメリーさんという名前ではなく、本名を語る女性だ。

美しいと言ってもいいと思う、上品な顔立ちの老婆だった。
プライドを脱ぎ捨てた穏やかな表情で、少し甘えた視線を恥ずかしそうに送る。
その微笑をもう少し眺めていたい衝動に駆られた。

あらゆる老人に、そこへ至る日々があることを思い返す。
本当の本当の彼女を、一体誰が知るだろう。
その胸のうちにだけ、駆けた命。

ただ彼女は生き抜いたのだ。
どう評価されようとも、唯一無二の人生を。

ヨコハマメリー(2005年・日)
監督:中村高寛
出演:永登元次郎、五大路子、杉山義法 他

横浜経済新聞の記事

アップリンク運営者によるエッセイ
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by yukotto1 | 2006-10-29 16:53 | ぐっとくる映画