「ほっ」と。キャンペーン

生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28

切なすぎる恋のはなし-初恋のきた道-

選挙特番でテレビのチャンネルは独占されている。
民主党が自民党に勝る議席数を獲得したらしい。
どの局も同じようなことばかりやっていて飽きたので、リモコンを次々と変えていく。

BS2に、チャン・ツィイーが出ている。
どうやらチャン・イーモウを特集しているらしい。

最近はアジエンスというシャンプーのCMにも登場する彼女だが、その初主演作、そして出世作と言えば「初恋のきた道」。
それは、あまりにも純な、少女の恋の物語で、はじめてみた時、その淡さ、健気さをファンタジーだと感じた。
現実の生活では、まずお目にかかれないだろう、そう思った。

けれど、後に、ある友人から、この映画を髣髴とさせる、信じがたいほどピュアな恋の話を聞くことになる。



その友人(男性)は修士2年の夏、大学の休みに単身中国へ旅行にでかけた。
父親が天津の現地法人で社長をしているのを頼った旅だったため、中国語の分からない彼のために、父の会社でアルバイトをする中国人の女性が通訳兼ガイドとして滞在中の彼の世話をすることになった。

ガイドが女性と聞いて、彼も全く期待しなかったわけではない。
彼女に会う前から「どんなひとだろう」と想像を巡らせた。
けれど正直言えば、初めて彼女に会ったとき彼はがっかりしたらしい。
その女性は、年は彼より幾分年下の、日本語を学ぶ中国人だった。
彼女は日に焼けて色が浅黒く、かなり痩せていて幼い印象がした。
どちらかと言えば彼は、気の強い大人の女性が好きだったけれど、彼女の話し方、接し方は非常に控えめで気弱な感じだった。
それでも丁寧で優しい彼は、日本から用意してきたプレゼントを渡し、これから1週間よろしくと彼女に伝えた。

友人は三国志をはじめとした古代中国史が好きで、今回の中国旅行の目的も、様々な歴史の影を探すものだった。
中国に行ったのは初めてだったが、彼にとっては本当に充実した純粋に楽しい経験だったようだ。
そんな旅の3日目、ガイドの彼女が移動中の車のリアシートで突然切り出した。

「私はあなたを好きになりました。私と結婚してください」

正確な言葉がなんだったかまでは聞かなかったけれど、あまりにもストレートな告白の言葉が突然飛び出して、彼は驚いた。
誰だって驚くだろう。

そういうとき、どう返せばいいのか、不意に思いつくのも難しい。
それでも彼はやはり誠実に、彼女と出会って間もないこと、だから彼女のことを何も知らないこと、結婚といわれても自分は学生でまさかそんなことを考えられるような状況にないことを伝えた。
当然といえば当然だが、私は彼の人柄をよく知るだけに、大きくうなづく。
落ち着いた言葉選び。優しい語調。一節一節の丁寧な発音。
彼がどんなふうにその言葉を伝えたかがありありと浮かぶ。

「私は手紙を書きます。これから毎日あなたに手紙を書きます」

こんなに優しい男性は中国にはいないのだと彼女は言った。
勘違いをされているようでむずがゆかったと彼は言っていたけれど、私は彼女が感じたこともそう間違いではないと思う。
そもそもこんなに優しい男性は、日本にだってそうそういないのだ。

むやみに断るだけの根拠もなく、ひとまず彼はうなづくしかなかった。

それから数日後、友人は帰国し、しばらくが過ぎた。
けれど、彼女からの手紙は来ない。
旅先で出会った人が「手紙を書くよ」と言って住所を聞いてくることはよくある。でも本当に手紙が届くことはほとんどない。
今度もそうだったのかと思って、突然の告白が衝撃的であっただけに彼は少なからずがっかりした。
「なんだ。ああは言っていたけどそんなものか」

2ヶ月ばかりが経ったある日、遂に彼のもとに手紙が届いた。
彼女は2ヶ月ぶりに彼を思い出し手紙を書こうと思い立ったのか、それとも、忙しくて書く暇もなかったのか。

そうではなかった。
それは船便だったのだ。

私たちからすれば俄かに想像できないが、貧しい農村生まれの中国人にとって、手紙には船便という選択肢があっても何らおかしくはない。

2ヶ月遅れのその手紙の日付は、彼が帰国した直後のもので、内容は、滞在中のお礼や挨拶めいたものだった。

それから手紙は、毎日届くようになった。
ある時には数日間届かないこともあった。けれどその後に何通も一緒に届いたりすることもあった。
彼女自身のこと、家族のこと、友達のこと、ほとんど何も知らない彼女のことが日記のような文章の中で細かく丁寧に紹介されていた。
彼女が故郷に置いてきた農村の家族、貧しい生活、彼にとってはカルチャーショックに近い内容も多かった。

彼もときどきは返事を書いた。2週間に1回か、2回。
同じように自己紹介や普段の生活について書いた。
彼の手紙はエアメールで返した。

時々は電話することもあった。
彼のほうから電話すると、彼女は心から嬉しそうな声で応えた。
彼には当時恋人はいなかったので、好みではなかったにせよ、自分を慕ってくれる海の向こうの女性に決して嫌な気持ちはしなかった。
むしろ、それから半年以上も、ただ数日間の思い出だけを頼りに毎日手紙をしたためてくる健気さに、次第に心ほだされ、愛おしさを覚えるようにもなっていた。

彼は大学院で林学を学んでいた。修士2年の夏には教授推薦で大手住宅メーカーに就職が内定していた。
でも、これで本当にいいのか。彼の中には本当にしたいことが他にあった。
けれどそれは、今までの理系のキャリアからすれば大きく外れた道だったし、せっかくの一流大学卒の学歴も役に立たない、その上、運良く職につけても内定していた大手企業の給料に比べれば甚だ安定しない薄給の仕事だった。
さんざん悩んだ末、彼は改めて就職活動を始めることを決意し、そのことを研究室の教授に伝えると「恩知らず」とひどい怒りを買い、修士号はやらないと宣言されたと言う。
「それでもかまいません」と彼はきっぱりと言い、ただ就職活動のために大学に在学している必要はあるので、就職が決まるまで籍だけは置かせて欲しいと頼んだのだ。
彼は、もちろん両親にもそのことを伝えなければならないと思った。
その夏の中国行きは、天津で働く父親にその報告をするためのものでもあった。

彼はその年の後半をめいっぱい就職活動に充てた。
彼が志したのは編集者の道だったが、もともと採用人数が少ない上に閉鎖的な業界で、新卒採用では理系はどんな高学歴でも相手にされなかった。
彼自身そのことは了解していて、最初から大手の出版社に入社できるとは思っていない。
まずは小さな編集プロダクションに入り、文系だ理系だが関係ない「経験」を身に着けようと考えていた。

それでも就職活動は難航した。かたっぱしから履歴書を送りつけ面接を希望したが、門前払いも多かった。
面接を受けても、悪い返事が続いた。
やっと社員数が10人に満たない編集プロダクションに採用が決まったのは、年も明け卒業式も近い日のことだった。
約束どおり、彼は大学院を去った。修士論文を書かなかったので当然だが、修士号はもらえなかった。

彼の夢は、好きな中国史の本を作ることだった。
入社した編プロは出版社の依頼を受けて雑学書を多く作っていたが、プロダクションの人間が自ら企画して本にするケースも多かった。
彼に最初に与えられた仕事は「酸性雨」というテーマで、林学修士(未満)の専門性があからさまに期待された。
確かに研究分野だったので比較的仕事はやりやすかったが、捨ててきた道というのもあって落ち着きの悪さを感じるようなところもあった。

二冊目の仕事で、念願の中国史の本の企画を任された。
ずっとやりたいと言い続けていたので、彼は張り切って仕事に没頭した。
昨年の中国旅行の経験が大いに活かされた。いずれその日のためにと、渡中した際に本のネタになるような資料や写真を入手していたのだ。

本が完成したら彼が真っ先に伝えたかったのは、あの中国人のガイドだった。
あのとき案内してもらったことが役に立って本になったよ、と伝えたかった。
社会人として軌道に乗ってきたのもあって、彼女のことを少しきちんと考えてみたいとも思い始めていた。
休みがとれたらまた天津に遊びに行こうか。

手紙は毎日のように届いていたが、社会人になってからは、ごくたまに電子メールでやりとりをするときもあった。
彼女の方は、友人のパソコンを借りてメールを送ってきていた。

ある日、一通のメールが届いた。

「体の調子が悪いので、今度検査を受けます」

詳細は何も書いていなかった。どこが悪いのかとか、どのくらい悪いのかとか、そういったことは何もなく、ちょっとした報告のように書いてあった。
彼女は必要以上に心配をかけたくなかったのかもしれない。あるいは、病状を詳細に伝えられるほどの日本語を知らなかったのかもしれない。
少なからず、彼はそれを心配していた。

それから1ヶ月ほどしてまたメールが届いた。
本の完成は間近だった。

「もうあなたに会うことができません。私のことは忘れてください」

それは告白のときと同じように、あまりに突然で、彼は頭が真っ白になった。
何かがあったに違いない。
あわてて彼は彼女の住む寮に電話をした。

彼女のルームメイトが出た。
今、彼女はここにいない。
彼女はどうしたのか、体の調子はどうなのか。懸命に聞いたが要を得ない。
たどたどしい日本語のやりとりがもどかしい。なぜ、自分は中国語ができないんだ。
電話の中で分かったのは、彼女はおそらく子宮の病気だということ。
今は故郷に帰っていて、連絡がつかない。戻ってくるかどうかも分からない。
彼から連絡があるだろうことは彼女から聞いていたが、もう会えないと伝えてくれと言われている。

告白も突然で一方的なら、別れも突然で一方的だった。
とまどいと、心配と怒りのようなもので、くらくらした。

ルームメイトは、「彼女からあなたのことをよく聞いていました」と言った。
でも彼女はもうあなたには会えない体になってしまったのだと、言った。

それはつまり子供が生めない体になったということだろうか。
だから結婚ができない、と。
だから彼にももう会えない、と。
なんて、馬鹿なんだ。そんなこと、なぜ思う必要があるんだ。

彼女は一人、重い病気に苦しんでいるのではないかと思った。
もしかしたら最悪、命に関わることがあったかもしれない。
なんとか連絡先を教えてくれとルームメイトに言ってみたが、決して彼女は教えてくれなかった。
本当に知らなかったのか、知っていても教えない約束だったのか、分からない。

そのルームメイトの話は、彼女からの手紙で知っていた。
彼女よりも少し年下で彼女が妹のようにかわいがっていることも知っていた。
彼は完成した中国史の本を送るから、どうか彼女に渡して欲しいと伝えた。
彼女に案内してもらったおかげでこの本ができたから。
ルームメイトは必ず渡すと応えた。

それから、父親の会社のつてなどで彼女の居所をつかもうともしてみた。
でも、誰もそれを知らなかった。

その後も、2ヶ月のタイムラグのある手紙は何事もないかのように届き続けた。
手紙の差し出し人の住所は、彼女が住んでいた寮のままだった。
もしかしたらこのまま手紙だけは届き続けるかもしれない、という期待もあった。

けれど、ついに手紙は届かなくなった。
これといった前触れになるような記述はなく、別れの挨拶もなかった。

1年以上、毎日のように郵便受けを開けばあったものが、もう二度とそこにはなかった。

彼は、完成した本を二冊、彼女の分とルームメイトの分、古い住所宛に送った。
彼女の手には渡っただろうか。
結局、返事は来ない。

彼は天津まで赴くべきだっただろうか。
そんな、手紙だけの関係の中国人のことなど、まじめに考える方が馬鹿らしいだろうか。
それは恋愛と呼ぶには戯れすぎるだろうか。

農村生まれの貧しい中国人女性が、日本人の優しい男性に出会って、そこに幻想をおぼえたのだ、あるいは、経済的な意味での打算が働いていたのだ、そう思う人もあるだろう。
でも、恋はあるときは幻想から、あるときは打算から始まるものだ。

「初恋のきた道」で主人公の少女が憧れたのは、村にやってきたインテリの教師だった。
ほとんど言葉を交わしたこともない教師に一目惚れして、毎日、野外授業の風景を見に、先生の音読の声を聞くためにでかけた。
彼が村には不似合いなインテリの教師でなかったら、彼女はそれほどに憧れただろうか。
理由がどうであれ、恋に落ちたのだから、その気持ちが全てなのだ。そうでしかない。

その友人はその後も好きな本を作り続けている。
本格的に中国史の本を作るため、大手の出版社の歴史書部門へ転職もした。
彼女とはその後も一度もコンタクトがなく、それから別の恋もした。
その切ない想い出はひっそりと胸にしまって。

私はこの話を思い出す度、恋の単純さと難解さについて想う。
胸がきゅうとなる。
どうか彼女が幸せであって欲しいと、心から想う。


初恋のきた道 我的父親母親/The Road Home(1999年・米/中)
監督:チャン・イーモウ
出演:チャン・ツィイー、チョン・ハオ、スン・ホンレイ他
[PR]
by yukotto1 | 2004-07-13 14:15 | 切ない映画