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生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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落語の魅力-寝ずの番-

最近、落語にはまっている。
昨年の薪能、歌舞伎に大相撲という古典芸能熱がそのまま派生した具合だが、勢い余って神楽坂に引っ越したら、ご近所至るところで落語やら講談やら三味線やら長唄やらをやっている。
そういう環境のせいもあって、さらに火がついた。

落語は機会や料金の面から言って敷居が低い。
都内の寄席で毎日何かしらやっているし、当日券でふらっと入れる。
料金も、2~3千円と安い。

かつて、昭和の名人古今亭志ん朝が神楽坂は矢来町に住んでいたそうで、そんな具合に神楽坂は落語に縁が深い土地柄。
現在、神楽坂に常設の寄席はないが、毘沙門さんや赤城神社のお堂で独演会が開かれることはしばしばで、他にも普段は芝居をやっている小劇場や場合によっては居酒屋の座敷なんていう場所で開かれる高座もあって、思い立ったとき、どこかしら出かけていける気軽さがある。



最初は、赤城神社境内にある赤城亭という新撰料理を出すお店の二階で月に一度開かれている落語講座。
還暦を祝うため父に上京してもらった昨年9月半ばに、ちょうどタイミングが合ったので両親と一緒に赴いた。

十畳ほどの狭い江戸間に高座をこしらえて、25名の観客が座布団敷いてそれを取り囲み、わずか100cmの距離で生の落語を楽しむという、これ以上なく、ぐっとくるシチュエーション。
狭くて急な階段の軋みも、建てつけが今ひとつの襖戸も、全て心躍らせる小道具で、ちょうどその日は赤城神社の縁日が催されていたのもあって、窓の外には人々の賑わいとお囃子が程よく響き、何から何まで素晴らしい宵だった。

談幸師匠の高座の間、私はちらちらと何度も隣の父の顔をうかがっていた。
そもそも父は根っからの関西人で、東京の言葉が好きでない。
したがって落語は上方に限る、江戸前は好かんと言い出す恐れも大いにあって、父がこの場を楽しめるかどうか、内心、案じていたのだ。

ところが、そんな心配をよそに、父は一心に前を見て、時折目じりに皺を寄せている。
どうやら私のしつらえがお気に召したようだ。

高座の後に言うところでは、せっかく娘が手配したので文句を言うのは我慢していたようだが、思ったとおり、当初は江戸言葉の落語に抵抗があったようである。
けれども、10畳そこそこの空間で聴く落語は思いの外に面白く、大層それを気に入った。

「東京の落語も面白いがな」
父は繰り返し繰り返し言って、「やっぱりあれだけ近いんがええんやな」と納得したようにうなづく。

息づかいが聞こえる。表情も分かる。
まさに臨場感があって、それで思わず噺に引き込まれる。
大きな舞台の遠くの端でやっている落語ではない、一緒に宴会をやるくらいの距離で、近所の話術の達者の噺を聴くくらいの寸法で、なんだかこう、200年くらい前の日本人はこんな娯楽に笑ったんだろうなあという気持ちになる。

落語や噺家を題材にした映画やドラマは結構多い。
ちょうど今はNHKの朝ドラで、女性噺家を主人公とした「ちりてとちん」もやっている。

11月の談幸師匠の高座でも演じられた古典落語「駱駝(らくだ)」がモチーフとして登場する映画「寝ずの番」は、上方落語の大御所の臨終に際し、その弟子たちが繰り広げる通夜のお話。
故人の生前を面白可笑しく、愛をもって偲ぶ様子を描いていく。

噺家たちの会話は粋で軽妙、それから下品で艶っぽい。
現代に生きる芸能の伝承者と言えば堅苦しいが、扱うものはいつでも笑いであり人情であり、その傍らに一生を捧げる奇特な人々だ。
そんな人間が死んだなら、弔いも笑いで彩らねばならぬ。

死人を抱いてカンカン踊り。
三味線弾き弾き唄う、下ネタ満載の囃子唄。

笑って泣いて、そういう一生だから、死もまた同じように笑って泣いて。

私が落語に惹かれるのは、そういう死生感にどこか憧れる、そういう心理にも近いかもしれない。

寝ずの番(2005年・日本)
監督:マキノ雅彦
出演:中井貴一、木村佳乃、富司淳子他
by yukotto1 | 2008-01-09 17:49 | 笑える映画