生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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固有の視点-イン・ハー・シューズ-

日曜の午後だったか、そういう時間帯に観るのにちょうどいい映画だと思った。
それも自宅で、ソファにもたれながら、一人で観るのがいいかもしれない。
外は晴れていて、子どもの声など漏れてきて。

「イン・ハー・シューズ」。
対照的な姉妹の話。

姉は優秀だが地味で生真面目な弁護士。
妹は美人だが学習障害をもつふしだらな遊び人。

好き、だけど嫌い。
嫌い、だけど好き。

同じ両親から生まれた、年の近い兄弟姉妹というのは、互いに不思議な存在だと思う。
ルーツを同じくして、あるときまでの記憶をほとんど共有しているのに、性格も外見も、生き方も違う。
外見が少なからず似ているケースはままあっても、性格においては、違っている方がむしろ自然だ。



二人目が生まれた時点で、片方は姉であり、片方は妹になる。
それが逆転したことはない。この先も決してない。

私には弟が二人いるが、私は誰の妹にもなったことがない。
だから、妹という立場の人間が何を感じるものなのか、私には分からない。
兄や姉がいたらどんなだろうと想像することがあるけれど、どこまで考えても、結局分からない。

あるいは、ほんの短い一人っ子期間もあるにはあったはずだが、まったく記憶にないために、私には一人っ子とはどういうものなのかということも分からない。
一人っ子として育った人にしてみれば、兄弟姉妹がいるということがどういうものなのか、それは実感できないだろう。

誰かは誰かの代わりにはならない。
私には、弟が二人以上いる姉としての人生しかない。

誰もが、誰もにしかない視点と、人生を持つ。

キャメロン・ディアス扮する妹は、問題ばかり起こしている。
挙句に、姉の恋人まで寝取ってしまう。

決して姉を嫌っているわけではないし、むしろ姉を愛し、その姉から愛されていると知っている彼女は、それでも自分を抑えられない。

身近な人にほど攻撃的になってしまうのは、どこか分かる気もした。
一番理解して欲しい人、一番理解してくれているはずの人、それなのに小さな軋みに苛立ちを覚えてしまう。
むしろそうだからこそ、些細なかみ合わせやタイミングの悪さが、許せなくなる。

甘えなのだろう。
近すぎるから、甘える。
どうして、わかってくれないの、と。

けれども同時に、理解しあえないならどうでもいいわと、無視しきれない、諦めきれない。
他人にはなれない。

家族という存在は、好きだから嫌いだからという理由で、簡単にはついたり離れたりできないものだ。
ある意味では、好きだとか嫌いだとかを超越していて無関係になれない。
それは、当たり前のようで、実は不思議なことだと思う。

私たちは、まぎれもなく別個体なのに。

「イン・ハー・シューズ」。
姉さんの靴を履いてみる。
でも、姉さんにはなれない。

年の近い姉がいたら、私はすべてを話しただろうか。
心のすべてを曝け出せただろうか。

いないから、分からない。

ちなみに私は、家族の誰にも心の全てを話さない。
話さないことは、それが一つの私の愛情の示し方のようでもあるし、また同時に、話さなくてもどこかで理解して欲しいというわがままさの表れでもある。

甘え。
きっと、そうだろう。
そうに違いない。

けれどおそらく、私の視点から見た家族および人生は、これから先もそういうかたちで成立していく。
それはどうしようもないことで、同じように誰しもに、誰しもの在り方があるのだろう。
きっと、そうなのだろう。



イン・ハー・シューズ In Her Shoes(2005年・米)
監督:カーティス・ハンソン
出演:キャメロン・ディアス、トニ・コレット、シャーリー・マクレーン
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by yukotto1 | 2007-02-20 23:01 | 考えてしまう映画