生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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人を守るということ-硫黄島からの手紙-

何人かの人が勧めてくれたのをきっかけに、初めて東野圭吾の小説を読んだ。
「手紙」は、昨年映画化もされたベストセラー小説である。

読み始めてまず感じたことは、「読みやすい」ということ。
純文学に慣れすぎた私からすると、読みやすすぎて手ごたえがないくらいだ。
いたって普通の言葉遣いで綴られて、分かりやすく物語が紡がれていく。
つまり、ストーリーの魅力が読むものを結末まで力強く引っ張るのだ。

主人公の兄は、「弟を大学に行かせてやりたい」ために老婦人の家に盗みに入り、タイミング悪く見つかって、意図せず殺人を犯してしまう。
兄は15年間、服役することになるが、「殺人犯の弟」というレッテルを貼られた主人公は、社会から差別され、手に入れたものをことごとく奪われ、苦悩に満ちた人生を歩むことになる。
本作は、その苦しみから逃れんとする過程、立ち向かわんとする過程、そういったものを描く。



自分の大切な人が罪を犯したら、ということを何度か想像したことがある。
そのとき私は何を感じ、どう行動するだろうか。
その行動の結果として、何を背負っていくのだろうか、と。

もちろんその人との関係性にも寄るだろう。
親兄弟といった逃げても逃げ切れない血縁の人。
配偶者のような法的関係の解消手段がある相手。
あるいは、恋人や友人のような、心一つしか証明のない関係。

「仮に罪を犯しても、自分にとってその人が大切な人であることには変わりない」
きっと、私はそう答える、という想像。
あるいは、空想。

本当の本当にその立場に立ったとき自分がどうするかと、言い当てるのは困難だ。
想像は想像に過ぎないし、そしてまた誰もが、想像に過ぎないと言い切ってしまえるほどそれを他人事だと信じている。
ある意味では、やすやすと諦めをつけやすい私たちの想像力を、根気強く稼動させて書ききった、それが「手紙」なのかもしれない。

もう一つ、想像を刺激してくれたのは、映画「硫黄島からの手紙」。

クリント・イーストウッドがメガホンをとった全編日本語のハリウッド映画、今年のアカデミー作品賞にもノミネートされた。
渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、中村獅堂、加瀬亮と、私たちが見慣れた日本人俳優たちが、ダイナミックかつリアルなスクリーン上で躍動感あふれる姿を見せてくれるのは、まるでこれがどこの国の誰によって、作られたものなのかを忘れさせてしまう。
日本映画にはなかなか生み出せない質感と迫力、ぐいぐいと踏み込んでいく過去の現実。
かといって、外国人が作ったとも、俄かに思えないのだ。
そこで見せつけられるものは、確かに私たち自身の経てきた歴史だったのだろうと感じさせる。

いわゆる戦争映画を観て、兵士の気持ちに想いを馳せたことは、正直初めてだった。
これまで私が感じてきたものは、罪のない市民たちが空襲に焼かれていく恐ろしさ、残酷さ、悲惨さ、戦争の愚かさ、そういったことばかりだった。
あるいは、戦争に命を散らせた人々を極端なほど美化してロマンを煽るかのような作品を見て、辟易としたことも多かった。

私はずっと、「戦争なんか、いややいやや」と思ってきたのだ。
なんで殺しあうのん?なんで死ににいくのん?そんなん、いややいやや。

小学生のとき、学校でアニメ映画の「はだしのゲン」を観たとき、原爆投下のシーンで目をそむけた。
そんなん、いややいやや。

でも、冷静になってみれば、分かる。
もしも日本がある日、外部から攻撃を受け、自分の大切な人たちの命が奪われそうになったら。
すべての生活、すべての平穏、すべての自由が、何者かによって侵されそうになったら。

あらゆる手段をもって、そんな事態は避けなければならないことは確かだけれど、それでも誰かが攻めてきたら、そのとき言いなりになることもできないだろうし、何もせず闘わず、無残に死んでいくしかないなんて、死んでいかせるしかないなんて、きっとできない。
そのとき、私たちは闘わなければならないし、闘うことを選ぶだろう。
じゃあ、誰が闘うのかと言われたら、誰かが身代わりにやってくれるわけでなく、いややいややでは、埒が明かない。
自分が闘わなくては、家族を守れないのだ。

だから、戦地へ行く。

いやだけど、戦地へ行く。
誰も死にたくないし、誰も殺したくない。
だけど、戦地へ行く。

そして、同じ命を張るのなら、最後の最後まで生き抜いて、闘って、ただ一日でも長く大切な人たちが無事でいられるようにと。
あの硫黄島で、死を覚悟して最後まで戦い抜いた人々が心から願ったとおりに、それで助けられた命があるはずだ。
過去の日本人たちのその犠牲、その想いの下に、私たちは生まれることができたのだ。

ここで靖国がどうだとかいったことを論じるつもりもないし、戦争を正当化する気もさらさらないのだが、ただ、そういうことをどうして私はこれまで考えもしなかったのか不思議だった。
なぜまたこれを、外国人の作る映画に教えられてしまうのか、不思議だった。

たった一発の銃弾で、いともたやすく人は死ぬ。
戦闘開始の瞬間に、最初の弾で命を落とす兵士もいる。
それは無駄死にだったろうか。

人は愚かだけれど、戦争は無為だけれど、とても悲しいけれど、でも、誰かのためにとただひたすら信じて、そんな死に方をしてしまえるのも人間でなくてはできない、人の美しさのように思う。

大切な人を守るということの、その難しさと切実さを二編の「手紙」に思い巡らせた。


硫黄島からの手紙(2006年・米)
監督:クリント・イーストウッド
出演:渡辺謙、二宮和也、伊原剛志 他


手紙(2003年・日)
著:東野圭吾
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by yukotto1 | 2007-03-12 23:14 | 考えてしまう映画