生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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Dive into-海を飛ぶ夢-

最初は遠くから眺めていただけだったけど、何人かの友人が飛び込むのを見ているうち、私もやってみようかと思い立った。

あれを飛んだら、何かいいことがあるんじゃないか。
根拠のない願掛けをした。

ためらわないで、下を見ずに飛べばいい。
そう声をかけられて、そうしようと思った。
だから、何も考えなかった。

考えすぎていつも失敗する自分を、振り切りたかったのかもしれない。

宙に飛び出した瞬間、足元を見たら、そこに岩があった。
このまま落下したら、確実にぶつかるという位置だ。
踏み切った岩場の高さは7mくらいある。



脚を折りそう。
ひょっとすると、もっとひどい。

と、意外なほど冷静に考えた。
わずか1秒足らずの滞空時間の状況把握だ。

そこから何ができたかというと、何もできなかった。
ただ気持ちだけは右に逸れようとした。
それでもそのおかげか、結局、むき出しの岩すれすれに、足から川に落ちた。
耳に水が入るとか、鼻に水が入るとか、みんなが言っていたけど、水なんて何も入らなかった。

どぼんと落ちて、その瞬間に左半身を岩に打ちつけた感触が錯覚なのかどうか確かめようとした。

確かに、当たった。
衝撃があった。

痛い、気もする。

左の肋骨を打ったとみえて、息苦しさがあったのと、手足に力が入らなかったのと。

ちょっとした衝突、全然平気と思おうとしたけれど、7mほどの高さから落ちたのだから、「ちょっとした」というわけにもいかなかった。
「ああ、やっちゃったよ」と思った。

友人たちが岩場の上から、心配そうな声をかけている。
私の意識はちゃんとあって、とりあえず今死ぬ気配はない。

すかさず友人の一人が、躊躇することもなく岩場から飛び込んできて、私を拾い上げてくれた。
すごく頼もしくて有り難かった。

岸に上がって全身を確認した。
ウェットスーツを着て、ライフジャケットをつけていたから、擦り傷の類はなさそうだった。
出血もない。

けれども、肋骨まわりが苦しく、呼吸をすると激しく痛む。
太ももも痛い。

その後すぐ病院へ行ったところ、骨に異常はなさそうだと診断された。
肋骨周辺の筋肉が損傷していて、横隔膜が動くと痛みが起きるのだそうだ。

応急処置と簡単な薬だけをもらって宿に戻り、その夜から翌日、自宅に着くまで、友人たちが皆で私の世話をしてくれた。
手足は動くものの、ほとんど上半身を動かせない状態で、立ち上がったり座ったり、前かがみになったり、寝転んだりといったことが自力でできない。

私は骨折はおろか、鼻血を出したことさえない人なので、こんなに不自由な生活がむしろ新鮮なほどもどかしい。
何ひとつできず、そこに座っているしかなく。

ぼんやりと。巡らす思考と、たどる記憶と。

冷静に考えれば、あそこでほんのわずか位置がずれていたら、命を落としたかもしれない。
確実に手足を骨折して、ひどければ半身不随になったかもしれない。

そう思うと、ぞっとした。
ほんのわずかの、ほんのちょっとした違いで。

この程度で済んだことは、ものすごくラッキーだ。
背中や太ももが痛いのは、今、私が生きている証拠だ。
私は、ツいている。

その日、一緒にラフティングに参加したメンバーの一人は、二十歳の頃、事故で半身不随の状態になったことがあるらしい。
バイト先の結婚式場の2階の床が抜けて落下し、頭蓋骨損傷に脳内出血。
半月間意識が戻らずに、目が覚めたときは四肢が動かなくなっていた。

その後、彼は2年間をリハビリに費やし、今では何不自由なく、当たり前の生活を送っている。
そんな過去があるようには微塵も見えない。

身体が動かないと知ったときの彼の絶望は、察して余りある。
そして、それでも決して諦めず、苦境を克服した意志の力には驚嘆する。

生きているかと、死んでいるかの境目は、とても曖昧だ。
それを分ける要因も、ごくわずかなもので、それを思えば、自分は「生かされている」と感じる。

実際、私は、宙に飛び出した瞬間のうちに、これで死ぬとしたらそれが私の一生で、これで生きるとしたらそれが私の人生の一部なのだと、ほとんど観念した。
死などというのは簡単なもので、恐れるに足りないな、とさえ思った。
そのとき私には、一切の恐怖がなかったのだ。
本当に終わるときは、恐怖なんて感じる間もなく、事切れてしまうのだろう。

半身不随に陥っていた彼も、事故の瞬間に気を失い、次に目覚めたときは集中治療室の天井が見えたと言っていた。
意識と意識の間には半月の時間が流れていて、それは夢のない眠りだったという。
目が覚めたから彼は今生きていて、そのまま眠り続ければ死んでいたという、ただそれだけのことなのだ。

それから私がずっと考えていたのは、スペイン映画「海を飛ぶ夢」で、四肢付随になって26年間も寝たきりの生活となり、自ら尊厳死を望んだ男性の話だった。

25歳のとき、彼は岩場から海へ飛び込む。
浜辺にいた女性に気を取られながら、不注意にもダイブしたその下は引き潮の浅瀬だった。

その一瞬で首の骨を折りながら、彼はかろうじて生きながらえた。
生きるということと引きかえだったのは、自分ひとりでは何一つできない、ただベッドに横たわる生活だった。

ただ息をしている。
意識があって、喜怒哀楽があり、思考も働く。
けれど、思うとおり動くことはできない。
指の一本も動かせない。

その人柄で、家族にも友人にも女性にも愛される。
彼に何ができるとか、できないとかいう意味を超えて、彼には人を惹きつける力がある。
けれど、思うとおり動くことはできない。
愛する人のことも、愛してくれる人のことも、抱くことができない。

それでも、生きていることに意味があるのか。

愛があれば生きていける?
必要とされれば生きていける?

けれど、彼はそうは思わなかった。
どんなに愛されていても、どんなに必要とされても、彼は生きていたくなどなかった。

生と死の狭間で、ほんの小さなことで「生きる」方に針が動いた。
それが必ずしも幸福なのかどうか分からない。
少なくとも、苦悩が大きいのは、死よりも生の方だ。

私には分からないけれど、ただ、生きているから考えられるし、生きているから考えないでいられない。

どうして私は、今、生きているんだろう。
たぶん何の意味もなくて、意味のない結果の上に、ただ私は、まだもう少し生きていくらしい。

笑ったり、泣いたりしながら。



海を飛ぶ夢 The Sea Inside(2004年・西/仏)
監督:アレハンドロ・アメナーバル
出演:ハビエル・バルデム、べレン・ルエダ、ロラ・ドゥエニャス他
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by yukotto1 | 2008-07-09 00:09 | 考えてしまう映画