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生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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私のいない世界-死ぬまでにしたい10のこと-

先月、友達と品川で食事をしたときに、彼女が「死ぬまでにしたい10のこと」を観たと言っていた。
私はまだ観ていなかったけれど、気になっている作品だった。

「私はさ、あと2ヶ月の命だったら、私を愛してくれる人のために何ができるかを考えるな」
そう彼女は言った。

「へえ」

真剣に考えたことがあるわけじゃないけれど、私はこれまで、自分だったら、自分がしたいと思っていたことをやろうとするんじゃないかと思っていた。
他人が私にしてほしいことじゃなく、私が自分でしたいと思うことする。
漠然と、そんなもんじゃないかと思っていた。
それで、何がしたいかまでは考えたことがないけれど。



でも、彼女がそんなふうに言うのを聞いて、私は一体どっちなんだろうという気がしてきた。

「じゃあ、死ぬとき、自分が一緒にいたいと思う人と一緒にいる?自分と一緒にいたいと思っている人と一緒にいる?」
私がたずねると、彼女はしばらく考えて、「自分と一緒にいたいと思っている人と一緒にいる」と答えた。
「自分と一緒にいたいと思っていない人となんて、一緒にいてもしょうがないもの」

家へ帰ってからも考えた。
辻仁成の小説「サヨナライツカ」のことも考えた。

「人は死ぬとき、愛したことを思い出す人と愛されたことを思い出す人に分かれる」

この問いをして、即座に答えられる人もいる。
私は何度かこの問いを人にしたことがあるけれど、何人かの人は「愛したことを思い出す」ときっぱりと言った。
自分が死ぬときのことなのに、なぜそんなに即座に答えられるんだろう。
きっとそういうふうに答えることができる人は、現在かあるいは思い出になりきらない過去に、本当に強く愛した人がいるのだろう。

自信をもって人を愛せるということは、翻れば、愛されている自信があるのかもしれない。

友達が言ったように、愛してくれない人を愛しても、しょうがないのかもしれない。
でも、「しょうがない」ってなんだろう?

「死ぬまでにしたい10のこと」のDVDを借りて観た。
原題が「my life without me」だと知って、少し納得した。
「私のいない世界」、余命が2ヶ月と知ったとき、人が考えるのは、その残りの2ヶ月ではなく、自分が死んだ後の時間だということだろうか。
だから、自分を必要としてくれる人のために、その人たちの幸せのために何ができるかを、考えようとするのだろうか。

それでも、私には分からない。
そもそも、私を必要としてくれる人って、誰だろうか。

私は人生の最後の日、誰と一緒にいたいと思うのだろう?
本当にその日が来たら、頭をよぎるのは誰なのだろう?
そしてその人に一緒にいてと伝えることができるだろうか?

あるいは、私と一緒にいたいという人が目の前にいるとして、その人ではない人にそれでも会いに行こうとするだろうか?私は。
もう人生は終わるのに、目の前にいる人の気持ちなんて関係あるのだろうか?
もう人生は終わるのに、それでも会いたい人なんているんだろうか?

1ヶ月くらい考えているけど、やっぱり分からない。

余命2ヶ月と知ったら、きっと私は手紙を書くだろう。
まず「手紙を書きたい人」リストを作って、優先順位をつけるだろう。
きっと軽く30人くらいはリストに挙がるに違いない。
家族や友達や、好きな人、好きだった人、気になる存在、尊敬する人、もしかしたら、まだ一度も会った事のない人さえ。
そして余命を計算して、一日何通書くべきかのスケジュールを立てるだろう。
自分とその人の人生が交わった瞬間の数々を思い浮かべ、それを振り返りながら、本当はあのときこんなことを思っていたとか、私はあなたが大好きだとか、そういうことを書くだろう。

手紙を書く場所は陽の当たる明るい部屋がいい。
キーボードが打ちやすいサイズの机さえあれば、今の私の部屋でもいい。
できれば好きな人にそばにいて欲しい。
その人の存在を感じるだけでもいい。

手紙を書くのに疲れたら、お茶を飲みながら他愛もないおしゃべりをしたい。
自分の人生に起こったことを、一つ一つ紐解きながら、ゆっくりゆっくり話をしたい。
何も考えずに眠るのもいい。

そのときになればしたいことがいろいろと思い浮かんでくるのかもしれないけれど、今の私には、そのくらいしか思いつかない。

でもこれは、「残った人のために」することじゃないだろう。
私が私のために、私の精神を救うためにすることような気がする。
私を正しく理解して欲しいからかもしれないし、私のことを忘れないでいて欲しいからかもしれない。

あらゆる人間が死ぬ以上、必ず余命2ヶ月のときはあるわけだけれど、それを知ることができないことの方が断然多い。
そういう意味では、いつでも、自分が死ぬという緊張感を持ちながら生きても良さそうなものだけれど、本当にいつも自分の死を意識しながら生きることなんて、通常の人には絶対にできないし、できないように人間の思考はプログラムされている。

残りの人生を数えても仕方がないけれど、かといって私は「私のいない世界」を想像できるほど、心が広くない。
そんなことをしたら、嫉妬したり、後悔したり、絶望したりして、じたばたじたばたしてしまうだろう。
臆病者の私は、とりあえず今、笑えるかどうかの方が大切だとか言って、ぎりぎりまで「私のいた世界」を振り返ろうとするだろう。

そんなふうに思う私は、やはりひとりで生きているということなのだろうか?

「死ぬまでにしたい10のこと」には、優しい音楽が流れている。
こうやって、人は、死んでいくのだな、と感じる。
こうやって、人は、人を思い出にして、私のいない世界は続いていくのだな、と感じる。
思えば、私が生まれる前にも、私のいない世界はあった。
それでも私が生まれたとき、木の葉は少し揺れただろうか。
鳥は枝から飛び立っただろうか。

思索はあっちへ行ったりこっちへ行ったりして、まだ私にはきっぱりとした答えは出そうにないのだけれど、昨日観たこの映画には言葉にならない説得力さえあり、こんな私にとっても、心に沁んでいく優しい音があった。
ありふれた一人の女性の命が、消えた後の世界。
それも、続く。続いていく。

なんとなくそれも、「あり」なような気がした。


死ぬまでにしたい10のこと my life without me(2003年・米)
監督:イザベル・コヘット
出演:サラ・ポーリー、マーク・ラファエロ、スコット・スピードマン他


サヨナライツカ
著者:辻 仁成
出版社:世界文化社
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by yukotto1 | 2004-08-05 23:17 | ぐっとくる映画