生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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彼女がハタチだったときに-白仏-

恵比寿ガーデンプレイスにほど近いカフェでひとり、待ち合わせの時間まで本を読んでいた。
辻仁成の「白仏」という本で、作者が自分の祖父の一生を小説としてまとめたものだ。
友人が「いい本だから」と貸してくれた。



「白仏」の主人公は、兵士として戦争に行く。
シベリアの寒さの中で人を殺し、そしてまた自らの命の危機を感じる。
そんなくだりを読んでいる。

私の祖父も外地へ出征したと聞いた。
無事に帰ってその後、母が生まれ、私も生まれた。
戦争の話を詳しく祖父に聞いたことがなかったけれど、今はもう彼はいない。
そうやって、過去は人々の記憶から消えていってしまう。

祖母のことを考えた。
父方の祖母のことだ。
私の祖父母では、ただひとり、今生きている人だ。

1945年8月15日。
ちょうど59年前に戦争は終わった。
なにげなく数を数えて、はっと驚く。

祖母は、その年、ハタチだった。

あまりにもショックで、思わず震えてしまった。
急に胸が痛くなって、涙がこぼれそうになった。

ハタチだった頃の私の関心事と言えば、恋愛だとか洋服だとか、髪型だとか旅行だとか。
せいぜい深刻だったのは必修科目の出席日数と、期末試験の成績くらいだった。
成人式の直前の金曜日、大学の帰りに下北沢駅のホームから見上げた、澄み切って凛とした青い空を私は決して忘れない。
そこには若さと未来と充実があった。

ハタチって、そういう歳だったはずだ。

なのに、祖母がハタチだったとき、日本は戦争をしていた。
街は焦土となり、人々は多くのものを失った。

祖母は映画「火垂るの墓」の舞台となった神戸生まれの神戸育ちで、大空襲に焼け出され、私の故郷である田舎町の親戚の家に疎開してきた。
そこから三菱重工の軍需工場へ働きに出て、工具係をしていたという。

その頃の祖母の写真は、とても美しい。
彼女は今でもとても美人なのだけれど、その頃の彼女は、若さゆえの瑞々しさに溢れ、恥じらいを宿し、理知的で優しい額をしている。
その写真を大事に持っていて私にそっと見せてくれる祖母の心の中には、どんな思い出が詰まっているのだろう。

きっと恋も、したのだろうか。

前に実家に帰ったとき、両親と祖母と4人で食事をしにいった。
簡単なフレンチのコースで、少しワインが入った。
祖母は意外に酒好きで、祖父が生きていた頃はほとんど口にしなかったけれど、今は好んでお酒をたしなむ。
そのとき、上機嫌になった祖母は「昔は私も恋をした」と言った。

工具係の仕事は、工員の依頼を受けて必要な工具を倉庫から出しては渡すことだった。
工員はもちろん男性ばかりで、窓口に待機する祖母に若い工員たちがよく声をかけた。
そんな中で、一つ二つ年下の工員が、祖母を毎日自宅まで送ってくれた。
帰る道々、いろんな話をした。
とても仲が良かったのだと、祖母は言った。

けれど、その若い工員は肺炎をこじらせて死んでしまった。
そんな時代だったのだ、と祖母は言った。
「そんな時代もあったんやで」と真顔で言った。

戦争が終わった直後にも、祖母は同じ工場で働き続けていた。
ある日、仲の良い同僚の女性が祖母を映画に誘った。

昔はどんな小さな町にも映画館があった。
それは人々のささやかな娯楽だった。
祖母は独身の頃も結婚してからも、よく映画を観に行った。
結婚してからの映画は、家事の合間にいちもくさんで行っていちもくさんで帰ってくるものだったと言っていた。
それでも楽しみでならなかったのだ。

仕事を終えて、祖母と同僚の女性はそのまま映画館に向かった。
映画館が近づくと、その女性が言った。
「今日はお兄ちゃんが来てるねん」
祖母は「ハルオさん?」と聞いた。
ハルオさんはその女性の兄の一人で、2人と同じ工場で働いていた。
だから祖母も知っていた。
「ううん、違うねん。一番上のお兄ちゃん」

映画館の前に、男性が一人立っていた。
祖母は「はめられた」と思った。

即座に悟った祖母は黙って映画館の窓口へぐんぐん進み、顔も上げずにキップを3枚買った。
男性は、キップも買わずに待っていたのだ。

祖母は、友人とその兄にキップを押しつけ、無言のまま館内に入り、無言のまま映画を観た。
友人の兄とは、一度も目を合わせなかったし、一度も言葉を交わさなかった。

お見合いは、それだけで終わった。

それだけで祖父は祖母を気に入って、ふたりは結婚した。
そんな時代だったのだ、と祖母は言った。
「そんな時代もあったんやで」と真顔で言った。

戦争で焼け出されて、財産も何もなかった。
祖母はもともと片親で、彼女の母が再婚した父親は、死ぬときにも祖母の名前を呼んでくれなかった。
贅沢なんて言えなかった。
好きだとか嫌いだとかそんなことが問題ではなかった。
そういう時代だったのだ。

59年前。彼女が、ハタチだったときのことだ。

そういう結果として、父が生まれ、私も生まれた。

祖母は今、とても幸せだと言う。
子供たちに囲まれ、孫たちに囲まれ、とても幸せだと言う。
私が東京の大学に合格したときは、密かにみんなに自慢するほど嬉しかったと言う。

私は彼女に何をしてあげられるのだろうか。
きっとそれほど長くはない、残された時間に、私は彼女に何をしてあげられるのだろうか。
彼女がハタチだった頃、恐怖や絶望に打ちひしがれた代償を、どうやれば埋められるのだろうか。

途端に祖母が私の妹になったかのような、不思議な錯覚さえおぼえて、恵比寿のカフェで、ひとり、泣いてしまった。


白仏
著者:辻仁成
出版:文芸春秋


火垂るの墓(1988年・日)
監督:高畑勲
声の出演:辰巳努、白石綾乃、山口朱美他
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by yukotto1 | 2004-08-17 23:51 |