生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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ヒーローたる存在-炎のランナー-


アテネオリンピックももうすぐ終わる。
今回の日本は特に前半メダルラッシュで、ご多分に漏れず、にわかナショナリストの私も、そのお祭り騒ぎにお祭り気分。



とはいえ、平日に夜更かしするのは正直「もったいない」と感じてしまう仕事人間の私なので、深夜に起きてLIVEで観るまでの根性はない。
残念ながら、朝のニュースで結果を知るだけ。
そのたび、メダルが増えていて驚く。

オリンピックだし、ということで「炎のランナー」を借りて観た。
テレビか何かで必ず聞いたことがあるはずだ。
ヴァンゲリス作曲のテーマ音楽はあまりにも有名。(ヴァンゲリスは2002年サッカーワールドカップのテーマ「アンセム」でも有名)
どんな映画なのか詳しく知っていたわけではないが、この曲の印象ばかりが強かったので、一度観ておきたいと思っていた。

それにしても「炎のランナー」というタイトルが悪い。
まるで「ランボー 怒りのアフガン」のような響きがあるのはなぜだろう。
そのせいかアクション映画のようだが、「炎のランナー」は1924年のパリオリンピックを目指すイギリスの二人の青年をめぐる、いわゆるスポ根ものだ。

映画自体は、好みの問題があるかもしれない。
ユダヤ人差別、敬虔な宗教心と西洋社会特有のテーマが大きな位置を占めていて、なかなか私は感情移入が難しい。
ただ思ったのは、いつの時代でもオリンピックに出場するというのは、その晴れ舞台の裏の地道な努力によって実現されるということ。
当たり前のことだけれど、会場やテレビで私たちが目にする瞬間は、それが結実する、まさに「瞬間」であって、その背景には4年分以上のトレーニング、4年分以上のプレッシャー、4年分以上のドラマがあるはずだ。
映画は淡々とそれを描いていく。
主に、精神上の葛藤について。

私が以前勤めていた会社の同期に、オリンピック選手がいる。
彼は現役のショートトラックスケーターで、過去にリレハンメル、長野、ソルトレークの3度の冬季オリンピックに出場し、今は次回トリノオリンピックに向けて練習に励んでいる。
ワールドカップ、世界選手権では何度も優勝している実力者だけれど、過去にオリンピックだけは最高で4位。
なかなかメダルに届かず、「無冠の帝王」といった呼ばれ方をしたこともある。

ソルトレークオリンピック開催中、彼に応援メールを書いた。
最初の競技で予選通過した後、「お客さんがいっぱい入っててすげー緊張した」と返事が来て、ソルトレークとつながってる?!という感覚に驚いた。
もちろん彼とは研修や仕事の場で何度か会ったことがあったのだけれど、テレビの中に観るその存在は大きく、自分からはずっと遠い場所にいる人のような気がした。
今まさにオリンピック会場にいて、明日にも試合を控え、もしかしたらメダルをとって一躍時の人になるかもしれない人からメールが届くなんて、それは本当に不思議な、とても不思議な感覚だった。

同い年なのに、文字通り世界の舞台で戦う人。
そしてそこで勝っていく、世界一流の人。

私は色々中途半端で、些細なことに一喜一憂し、些細なことに迷い怯える、非力で小さな存在なのに。
同じ時間生きてきても、今ある私たちはこんなに違う。
当たり前すぎるくらい当たり前のことなのに、私はそこに何も感じないでいられない、嫉妬深い人間だ。

これほどオリンピックに多くの人が熱狂するのはなぜか。
突き詰めれば所詮他人のこと。
それでも、彼らが勝利したり敗北するたび、ただの観客が歓喜したり涙したりする。
のらりくらりと生きているくせに、彼らの長年の努力もそっちのけで、おいしいとこだけ感動にあずかる。
大衆とは、実に都合がいいものだ。

多くの子どもは、ヒーローに憧れる。
将来の夢はヒーローになること。
スポーツ選手になりたい、歌手になりたい、マンガ家になりたい、宇宙飛行士になりたい。
でも、いずれ、それは現実的ではないとか、くだらないとか、才能が足りないとか、いろんな言い訳をつけてヒーローになることを諦める。
諦めたという言い方はせずに、「子供の頃は」「若い頃は」「昔は」という言葉を使うけれど、でも現実にヒーローたる人は、その夢を一度も諦めることのなかった人だ。
そういう人しか、ヒーローにはなれない。

とても単純なこと。
一度も諦めなかった人だけしか、たどり着けない場所がある。
最大の違いは才能のありなしではない。その前に決定的に違うのは、ごくごく基本的なことだ。

私たちは、そんな人たちの勇姿に心焦がす。
彼らに同化し、彼らの経験に擬似的にあずかり、無抵抗に感情をあずける。
だから彼らはヒーローなのだ。
皆が憧れる存在だから。皆がたどり着けない場所にたどり着く存在だから。

「がんばっていたら」「あの時やめてなかったら」という仮定は全く意味がない。

名もない人ももちろん絶え間なく努力している。
それぞれの選んだ道で、それはいつの日か実を結ぶかもしれない。
スポーツ選手はピークが早いから、20代のうちにそれを具現化させるけれど、多くの物事に関してはそれが大成するのは、もう少し先のことが多い。

私は何を目指していくだろう。
私はどこに行くだろう。
私はどこまでがんばれるだろう。

同じくらいの年の人が、私が志すと同じような分野でどんどん活躍してきたとき、私は何を感じるだろう。
そのときそれを「昔の夢」と言い訳しないこと。
絶対に、しないこと。

身の丈の幸せも悪くない。
平和でのんびりとした日々も悪くない。
でも、今ある情熱は、捨てがたい。
それが人生を困難にするものだとしても。

生まれたときからヒーローになる人とそうでない人が決まっているわけではない。
彼らと私で、日常生活において抱えている問題がそれほどに違うかと言えば、おそらくそれほど違わない。
同じように呼吸をし、同じように喜怒哀楽し、同じように迷う。
彼らは、ちょっとしたきっかけがあれば、メールの交換ができてしまうくらい本当は近い場所にいる。

ヒーローたる存在と私との違いを考える。
私には、どこまで可能性があるかを考える。
その可能性を一体どこまで持ち続けていきたいかを改めて考える。

オリンピックの度に、私はそんなことを考える。


炎のランナー Chariots of Fire(1981年・英)
監督:ヒュー・ハドソン
音楽:ヴァンゲリス
出演:ベン・クロス、イアン・チャールソン、ナイジェル・ヘイヴァース他


炎のランナー ― オリジナル・サウンドトラック

ショートトラックスケーター寺尾悟君のホームページ
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by yukotto1 | 2004-08-29 02:02 | 考えてしまう映画