生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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心の準備-(500)日のサマー-

直前の連休の出来事が私の意識をいたずらにくすぐっていた、火曜スタートの一週間。
最初の二日は、どちらも夕方に大事なミーティングがあって、緊張を帯びた引力と休日明けの遠心力が駆け引きしあう、妙なテンションで過ごすはめになった。
それから解放された途端に、「映画だ。映画を観たい」と思ったのは、どうしてなのだろう。

去年はほとんど映画を観たい気分になることはなくて、友人に誘われたときか、あまりに暇な休日にしか、映画館には行かなかった。
それどころか、自宅で観るDVDでさえ、「何か他にしなければならないこと」の邪魔になるように思えて避けてきた。
その「何か他にしなければならないこと」の正体も分からなければ、実際、本当にそんなものがあったかどうかさえ疑わしいのに。

闇雲な日々はあったけれど、結局実ったものは一つもないし、なんだったんだろうと思うほど、あっという間の一年だった。
ただ、一年の終わりに、自分の心の奥の奥に、とても小さな発見があって、様々なことを肯定できる気持ちになった。

何かやったからかもしれないし、何もしなかったからかもしれない。
まあ、そういうときもある、というくらいにしか、説明ができないし、する気もない。

ともかく、私は突然、「映画を観たい」と思った。



木曜日の夜に、「(500)日のサマー」をやっている映画館を探した。
21時から日比谷シャンテでやるらしい。

すぐさまチケットを予約して、日比谷線に乗って、まだ前の回が上映中のシャンテシネに着いた。
iPodに入った全ての曲をシャッフルで聴きながら、ロビーで時間を待つことにする。
いろんなことを反芻したり、逆に意識から追い出したりを繰り返す。
これから映画を観るときの、フラットな気分を準備する。
新しい作品を観た後に、どんな気持ちが訪れるだろう、そういう期待は楽しみの一つだ。

やがて前の回が終わって、中から人がどっと出てきて、それからさらに中の清掃が終わり入場案内がされて、予約しておいた中央後方寄りのスクリーン全体が見渡せるシートに座る。
映画館からの注意事項や予告編を経て、ついに本編が始まる。

This is NOT a love story.
This is a story about love

「(500)日のサマー」は、とびきり魅力的で、でも気まぐれな女性サマーに恋をして、残酷に失恋をした男性の500日間に渡る妄想ストーリー。
彼の視点だけから全てが描かれているので、それはどこまでも、ひとりよがりで自分勝手なのだけれど、本来、恋愛感情などというものはひとりよがりで自分勝手なものでしかないことを思えば、その痛さや恥ずかしいほどの愚かさこそがリアルであって、また、切なく愛おしい。

自分自身が恋に落ちたときの、痛さや恥ずかしいほどの愚かさと照らして、それはおおよそ間違っていない。
男だからとか女だからとかいうよりも、その人の成熟度、あるいは相手との相性や単なる偶然のせいで、誰しもいとも簡単に、ああいう状況に陥ってしまう。

うまくいかないときは、自分を責めたり、あるいは一生懸命に相手を擁護し、解釈しようとしたりする。
けれど、それはほとんどの場合、的外れで、意味を成さない。
心が囚われ、感情がすべてをコントロールして、正しいものを見えなくしてしまう。

膨らんだ期待と妄想は、ことごとく現実に裏切られ、そして傷つく。
悪循環に陥る。ひどく傷つく。

やがて、相手を責めるようになる。
恨んだり、憎んだり、後で大きく後悔することになるような言葉を口にしたりする。

そして全てが壊れてしまう。
全部終わりになってしまう。

そこからがまた苦しい。
ひとりよがりは、苦しいものだ。

フテ寝しようにも、眠れない夜。
紛らせようにも、うわの空の昼。

「運命なんて信じない。本気で人を愛したりしない」
そう言ったサマーのことを「冷酷な女」とか「ロボット」とか結論づけたのに、次に会ったとき彼女は、別人のように自分の発言を否定する。

それくらい、あやふやなものだ。
ただはっきり言えることは、現実として彼女は、彼を選ばなかった、というだけのこと。

「愛なんて季節のようなもの」と「サヨナライツカ」の詩にもあるけど、期せずも「(500)日のサマー」でも同様の比喩がされている。

夏の後に秋が来て、秋の後に冬が来る。
そんな当たり前のことを、ありのまま受け入れるところから、お互いを慈しむコミュニケーションが始まるのではないか。

幻想を捨てよ。
あるいは、幻想の中にいる己を自覚せよ。
幸福は、半分以上諦観の上に成り立つと思う。

男女の触れ合いもすれ違いも、すべては単なる偶然だ。
後から名前をつけるとき、「運命」や「誤解」と呼ばれても、現実は何ら変わらない。

人間は、滑稽で切ない。

映画館を出るときに、「私は、滑稽で切ない」ということにまた気づく。

映画を観るにも、必要な準備がある。
恋をするにも、たぶん、必要な準備はあると思う。

(500)日のサマー 500Days of Summer(2009年・米)
監督:マーク・ウェブ
出演:ズーイー・デシャネル、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、クラーク・グレッグ他
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by yukotto1 | 2010-01-21 23:48 | ぐっとくる映画