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生活視点の映画紹介。日常のふとした瞬間思い出す映画の1シーンであったり、映画を観てよみがえる思い出だったり。生活と映画を近づけてみれば、どちらもより一層楽しいものになるような気がします。


by yukotto1
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後悔という罰-サヨナライツカ-

原作「サヨナライツカ」の大ファンとしては、その映画化作品を観ないですむわけがない。
これを見るのは、制作発表の日から決めていたことだけれど、いざとなると、期待より不安の方が大きかった。

だいたい、「大好きな原作」が映画化されて「大好きな映画」になった試しなんてあっただろうか。
スクリーンの映像と頭の中で出来上がった勝手なイメージを照らし合わせたときに、あれが違う、これが違うと、比較にばかり目がゆくのは避けられない。

他人が作った映像が自分の作ったイメージを超えるなんてことは、まずないのだから。

昨年の終わりごろ、「見たい映画は?」と尋ねられて、何の思惑もなく「サヨナライツカ」と答えたら、「それを一緒に見に行こうよ」と言われた。

そうだねと約束したのだけれど、内心、少しためらいがあった。
もっと、どうでもいいタイトルを挙げればよかったと後悔した。



私には思い入れがあるけれど、相手にはそんなものないわけで、この作品を私しか楽しめなかったら嫌だなと思った。
原作自体が賛否両論の小説なので、その人の好みに合うかどうか分からない。
あまりにつまらなかったら、付き合わせた相手に申し訳ないような気がする。

それに、私の恋愛観や価値観と強く結びつく物語なだけに、自分を見透かされるような恐怖もある。
容易く正確に理解されるならよいけれど、表面的なところで誤解されてしまったとしたら、そのとき、言葉を尽くして一生懸命に自らの意図を説明しようとする私の姿が想像できて、そんな私がなんだか可哀想で嫌だった。

正面を切って価値観に触れられるのが苦手なのだ。
特に、受身のそれが苦手。
攻められ弱いというか。

よく知っている、付き合いの長い友人ならいい。
けれど、まだ信頼関係が出来上がっていない異性となれば身構えてしまう。

だから、約束はしたけれど、実際に誘ってくれるまで待ちたくなかった。
まるで逃げるみたいに、誘われる前に一人で観てしまおうと思っていた。
たまたま映画好きの親しい友人が公開日に見に行きたいとメールをくれたので、「今晩観よう」と決めてしまった。

すぐ誘わないのが悪いんだよ。なんて、ほんとに、バカな私。

そして、公開日に新宿バルト9のシアター9。
公開初日は満員御礼で、土曜の夕方、特にカップルが多い。

私たちも男女の取り合わせだから、周りからはカップルに見えるかもしれないけど、間違いなくこのツレは友人。
彼は「サヨナライツカを僕と観ていいの?」と訊いたけど、「あなたとだから観られるんでしょ」と返す。
それだけで、「まあ、そうかもね」と理解してくれるから、この人と行く映画は気楽だ。

それにしても、本作は前評判が悪い。
試写会のレビューをネットで検索しても、評価が余りに低すぎる。

「退屈」とか「つまらない」という声もあれば、ストーリーに対する拒絶感も強い。
原作好きな人の膨らみすぎた期待が裏切られたという意見も多い。

だから、非常に不安が大きかった。
一人で、あるいは、よく知った友人と観てしまうのが正解だと思っていた。

が、実際の映画は、思いのほかに良かった。

完璧な作品だったかと言えばそうではないし、号泣するほどでもなかったけれど、ただただ美しく、切ない物語であることには違いなかった。

本作中盤、西島秀俊演じる豊は、中山美穂演じる沓子を、手ひどく、冷たく、突き放す。

これは、映画と原作の最大の違いだ。
原作では、豊は決断をしないし、最後まで沓子を拒絶しない。
沓子は、豊から別れを告げられることもなく、光子から「いなくなってください」と迫られることもなく、ただ、自ら身を引くことを決める。

だから、私が本作で見たものは、原作とはまた別の、豊と沓子、そして光子の物語だ。
けれど、本作の描写は、原作をそれほど意識せずに受け入れられるほどに、自然でリアルなものだったと言える。

私には、あんなふうに、誰かに冷たく突き放されたことがある。
私には、あんなふうに、誰かを冷たく突き放したことがある。

あんなふうに突き放されたときの、やり場のない気持ち。惨めな気持ち。頭が真っ白になる。狂うほどに胸が痛い。
あんなふうに突き放したときの、自己嫌悪。やるせなさ。息苦しくて逃げ出したい。狂うほどに胸が痛い。

二十歳のとき、「好きでも別れなければいけないときがあるのよ」と言った大人の女性に、「好きでも別れなければいけないときなんて、ほんとにあるんですか」とまっすぐに返した私。

そのときの私は、知らなかっただけだ。
今の私は、そのことを知っている。

空港で、豊がキスをせがむ沓子を不機嫌そうに振り払い、彼女が去り行く姿を無表情なまま見失い、その次の瞬間、駆け寄ってきた光子の抱擁とキスを受け止めながら嗚咽する姿は、不可逆のY字分岐が重苦しい音を立てて決定的に切られたと印象づける、見事なシーン。
その瞬間、残りの人生すべてを、後悔と孤独という罰を抱えながら生きることになる、豊と沓子と光子の運命が決まった。

映画が終わって、「意外とよかったね」と感想を交わして、友人に「私たちは25年後、どうしてると思う?」と尋ねてみる。

主人公たちと年齢の近い私たち。
25年後なんて、まともに想像したこともない。

ずっとこんなふうに一緒に映画に行ってるわけはないね。
たぶん、そのうちの結構長い時間は、ほとんど会うこともないだろう。

人の縁というのは不思議だ。

「サヨナライツカを観にいこう」と、約束した人からいざ誘われたら、「もう見ちゃった」と言うんだろうか、私。
それとも、黙ってもう一度観るのかな、私。

なんて、ほんとに、めんどくさい私。


サヨナライツカ(2010年・韓)
監督:イ・ジェハン
出演:中山美穂、西島秀俊、石田ゆり子他

小説「サヨナライツカ」の感想はこちら(男の幻想、女の幻想-サヨナライツカ-)
by yukotto1 | 2010-01-25 22:25 | 切ない映画