表参道は、落ち着きがあるが若々しさもあって、実に品のいい街だ。
上等とか、洗練とかいった、人が憧れる要素がたくさんある。
そのムードを自分のものと思える人は、どれくらいいるだろう。
私にとってそれは、背伸びしてほんのちょっと足りないくらいの位置にあって、憧れはするが、馴染みにはならない。
そして、それが収まりの良いバランスのような気がする。
ドトールの2階でホットティーをすすりながら、私はさっき聞いた占い師の話をおさらいしていた。
占いは信じない。
雑誌の最後のページや、朝のテレビのその日の運勢も、一応チェックするけど、すぐ忘れてしまう。
今年の初めに引いたおみくじが「凶」だったことも、5分で忘れて、今の今まで忘れていた。
だから、昨年のゴールデンウィーク直前、友人が「すごく当たっててびっくりした」と興奮ぎみに彼女のことを薦めてくれたときも、「まさか」と思ったし、すごく興味をもったわけじゃない。
けれど、気づいたら、その占いの予約を終えていた。
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「いらいらする子どもだな」
「かいじゅうたちのいるところ」を観に行って、私が感じたことは、結局そういうことだった。
幼児とは言えない年齢になったマックスは、わがまま放題に暴れたり、嘘をついたり、調子に乗ったりする。
いくら父親が不在でも、良識的な母と姉がいて、不幸というほどの境遇でなし、感情をコントロールしきれず、苛立ちを暴力的に発散する様は、逆に彼が十分に愛され甘やかされて育った末っ子だからとしか思えない。
すべてが彼の思うとおりいくわけではないし、皆が彼のためにだけ生きているわけではないと、もうそろそろ理解しなければいけない年ごろだ。
それなのに、やりたい放題するマックスに、私はいらいらしてしょうがなかった。
人間は、子どものときに親の愛情を得るためにとった戦略を、大人になっても選ぶ傾向があるらしい。
甘える、黙り込む、暴れる、がまんする、怒る、泣く、おどける、健気になる、無視をする・・・
子どもほど分かりやすくなくても、相手を自分の望み通りに動かしたいと思うとき、人はそれぞれ、ある種の行動パターンをもっている。
なれなれしく甘えて相手の懐に入ろうとしたり、都合が悪くなると黙り込んで相手が「しょうがないな」と言うのを待ったり、いつも成功するほど万能でなくても、気づくと選択しているその人なりの行動の癖は、少なからずあるなと納得してしまう。
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これを見るのは、制作発表の日から決めていたことだけれど、いざとなると、期待より不安の方が大きかった。
だいたい、「大好きな原作」が映画化されて「大好きな映画」になった試しなんてあっただろうか。
スクリーンの映像と頭の中で出来上がった勝手なイメージを照らし合わせたときに、あれが違う、これが違うと、比較にばかり目がゆくのは避けられない。
他人が作った映像が自分の作ったイメージを超えるなんてことは、まずないのだから。
昨年の終わりごろ、「見たい映画は?」と尋ねられて、何の思惑もなく「サヨナライツカ」と答えたら、「それを一緒に見に行こうよ」と言われた。
そうだねと約束したのだけれど、内心、少しためらいがあった。
もっと、どうでもいいタイトルを挙げればよかったと後悔した。
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最初の二日は、どちらも夕方に大事なミーティングがあって、緊張を帯びた引力と休日明けの遠心力が駆け引きしあう、妙なテンションで過ごすはめになった。
それから解放された途端に、「映画だ。映画を観たい」と思ったのは、どうしてなのだろう。
去年はほとんど映画を観たい気分になることはなくて、友人に誘われたときか、あまりに暇な休日にしか、映画館には行かなかった。
それどころか、自宅で観るDVDでさえ、「何か他にしなければならないこと」の邪魔になるように思えて避けてきた。
その「何か他にしなければならないこと」の正体も分からなければ、実際、本当にそんなものがあったかどうかさえ疑わしいのに。
闇雲な日々はあったけれど、結局実ったものは一つもないし、なんだったんだろうと思うほど、あっという間の一年だった。
ただ、一年の終わりに、自分の心の奥の奥に、とても小さな発見があって、様々なことを肯定できる気持ちになった。
何かやったからかもしれないし、何もしなかったからかもしれない。
まあ、そういうときもある、というくらいにしか、説明ができないし、する気もない。
ともかく、私は突然、「映画を観たい」と思った。
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7年前に東京に戻ってきたときに買った、大きなブラウン管テレビだった。
アナログ地上波が停止することは知っているけれど、だって2011年7月まではこれでいいんでしょ、と、ギリギリまで粘ろうと思っていた。
北京オリンピックも、ワールドカップも、私の決意には、なんの影響も及ぼさなかった。
そう、決めていたのだ。
12月半ば、新宿で映画を観た。
映画が始まるまで時間があって、友人が新しいテレビを買いたいというのでビックカメラについていった。
家電量販店は、たまに来ると本当に楽しい。
テレビ売場には、テレビ売場なんだから当然だけれど、おびただしい数のテレビモニターが並んでいて、不景気の中にあって一際賑やかな、ボーナスシーズンの浮き足立ったムードがあった。
アガる。
わけはないけれど、これ、アガる。
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ずっと、モヤモヤを抱え続けてきた主婦が」
漫画のシナリオを練りたいという友人と、例えばどんな物語を作ろうかという話をしていたとき、私がそんなふうな提案をしたら、友人は「そんなのダメダメ」と否定した。
なんで?面白くない?
インドに行って、それから何をするというのは決めてないけど、そこから物語がいくらでも広がっていく気がするんだけど。
「そんなのは受けいれられない」
と、自身、主婦であって母である友人は言う。
あなたにそうしろと言うつもりもないし、むしろ、そんなことできないからこそ物語が面白くなるんじゃないの。
受け容れられるか、られないかなんて、全然関係ないよ。
「でも、そんなの、する人の気がしれない。無理」
だから、フィクションなんだってば。
あなたのことでも、あなたの妹のことでもない。
感情移入型の人と話すとき、こういうやりとりは時々起きる。
作り物の世界でさえ、自分とは無関係と整理することができなくて、過剰に反応してしまうわけだ。
この友人は、「映画は感情が揺さぶられるから苦手」と言うくらいだから、なかなかナイーブな人だ。
私なんかは、「感情が揺さぶられるから」映画が好きなんだけど。
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